風土記じゃない部分もありますが、風土記の記事が多いので。
『鬼の研究(馬場あき子・著)』を参考にして(というか丸写し^^;)、土蜘蛛の記事を抜粋しました。
| 風土記 | |
| 茨城の国栖 (常陸国風土記) |
茨城の国栖、俗称土蜘蛛、または八束脛、山の佐伯、野の佐伯と称し土窟に住み服従せず。茨を土窟につめ、ここに追い込み殺す。 |
| 石井の郷 (豊後国風土記) |
土蜘蛛の堡《おき》というものがあり、石を用いずに土をもって築いてあるので無石《いしなし》の堡といわれた。 |
| 玖珠郡五馬山 《くすのこおりいつまやま》 (豊後国風土記) |
五馬媛《いつまひめ》という土蜘蛛がいた。 |
| 直入郡柏峡 《なおいりのこおりかしわお》 (豊後国風土記) |
大野に土蜘蛛がいた。景行天皇に滅ぼされた。 |
| 大野郡 (豊後国風土記) |
鼠《ねずみ》の石窟《いわや》に土蜘蛛がいた。海石榴《つばき》の木の大槌に打ち殺される。景行天皇の征伐による。 |
| 網磯野《あみしの》 (豊後国風土記) |
小竹鹿奥《しのかおき》、小竹鹿臣《しのかおみ》という土蜘蛛がいる。景行の御膳のために狩りをする。 |
| 海部《あま》郡宮浦 (豊後国風土記) |
速津媛《はやつひめ》、五人の土蜘蛛がいることを告げる。青《あお》・白《しろ》という名の二人が鼠石窟に住み、打■《うちさる ※■は「媛」の女偏が手偏になっている漢字》・八田《やた》・国摩侶という名の三人が直入郡の■疑野《ねぎの ※■は示偏に「爾」》に住む。加担する民も多く、勢力強大。景行天皇は要害路を経って城柵に拠らせず、これを滅ぼす。 |
| 益城郡または肥後 (肥前国風土記) |
朝久名峰《あさくなのみね》に土蜘蛛がいた。名を打猴《うちさる》・頸猴《うなさる》という。民衆百八十余りの人が加担して反逆した。崇神天皇が健緒組《たけおくみ》を派遣するが、山火事が起こって戦わずに勝つ。 |
| 佐嘉《さか》郡 (肥前国風土記) |
女の土蜘蛛、大山田女《おおやまだめ》・狭山田女《さやまだめ》がいた。荒ぶる神が人を殺すとき、下田の土を使って人形・馬形を作って、それを祭れと占う。言葉の通りにすると、神はしずまって殺人が絶えた。 |
| 小城郡 {肥前国風土記) |
そこの土蜘蛛、堡《おき》に拠るも日本武に滅ぼされる。 |
| 松浦郡 (肥前国風土記) |
海松橿媛《みるかしひめ》という土蜘蛛がいた。景行天皇の巡幸のとき陪従の大屋田子《おおやたこ》に誅される。 |
| 大家嶋 (肥前国風土記) |
大身《おおみ》という名の土蜘蛛がいた。景行巡幸に服従せず、誅殺される。 |
| 値嘉郷《ちかのさと》 (肥前国風土記) |
海上の島がある。一つ目の島を小近《おちか》といい、土蜘蛛の大耳《おおみみ》が住んでいた。二つ目の島を大近《おおちか》といい、土蜘蛛の垂耳《たりみみ》が住んでいた。二人は命乞いをして、海山の贄を奉ることを約束した。 |
| 杵嶋郡嬢子山《おみなやま》 (肥前国風土記) |
八十女《やそめ》という土蜘蛛がいた(※一説には集団巫女ともいわれている)。山頂にいて天言を下し、村を支配していた。服従しなかったので、景行軍を派遣して滅ぼす。 |
| 能美郡 (肥前国風土記) |
大白《おおしろ》・中白《なかしろ》・少白《おしろ》という土蜘蛛がいた。敗北し、そこで服従を誓ったので許される。 |
| 彼杵郡《そのきのこおり》 (肥前国風土記) |
浮穴郷に、浮穴媛《うきあなひめ》という土蜘蛛がいた。巡幸のときに無礼。敬いの心なしとして滅ぼされる。 |
| 陸奥国八槻郷 (逸文風土記) |
黒鷲《くろわし》・神衣媛《かむぞひめ》・草野灰《かやのはい》・保々吉灰《ほほきはい》・阿邪爾那媛《あざになひめ》・栲猪《たくい》・神石萱《かむいしかや》・狭礒名《さしな》という八人の土蜘蛛がいた。国造《くにのみやつこ》磐城彦も敗北するほどの勢いであったが、日本武の討伐にあいて潰滅する。このとき、津軽の蝦夷も立ち上がって土蜘蛛を助けたのだが、およばなかった。 |
風土記以外 |
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| 山門《やまと》または筑後 (神功皇后) |
田油津媛《たぶらつひめ》という土蜘蛛がいた。巫術によって人心をたぶらかすというのでこれを誅殺することになる。兄の夏羽《なつは》が軍を起こしてこれを防衛したが、田油津媛が誅殺されるや、たちまち退散してしまった。 |
| 景行天皇紀 (日本書紀) |
八女県《やめのあがた》の美形の山に、八女津媛《やめつひめ》という女神《ひめかみ》が住む。 |
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