上代歌謡

倭は 国のまほらま 畳づく 青垣 山籠れる 倭し麗し

やまとは くにのまほらま たたなづく あをかき やまこもれる やまとしうるはし

大和は耕地の広がる、すばらしい場所だ。まわりには幾重にも山の青垣が重なり、その山に包まれている大和はほんとうに美しいよ」

景行十七年の春・三月十二日のこと。
景行天皇は、子湯県こゆのあがた(宮崎県西都市一帯)に出かけ、丹裳小野にものをのの地に立った。そのとき、東のほうを眺めた天皇は、この国が太陽の昇ってくる方角に向いていることに気づいた。よって、この国を「日向ひむか」と名付けた(勝手なお人だこと)。
よい地名を思いついて機嫌を良くした天皇は、さらに野原にある大岩にのぼった。そこから倭が見はるかせたのかどうかはわからないが、天皇は倭の都をしのんで三つの歌を詠んだ(この歌は二番目に詠まれたもの)。

もとは、神事民謡。それが宮廷祭事にも転用されるようになり、物語の脚色に使われたそうです(「古事記・上代歌謡[日本古典文学全集1]」より)。
ここであげられた三つの歌謡は「国邦歌」という題名(かな?)がついています。これと同じものを、彼の息子・倭建命やまとたけるのみことが、遠征地の伊勢の能煩野のぼので「片歌かたうた」として詠んでいます。詠み上げる順番はちょっと違うのですが。

それにしても奇妙なカンジ…いくら決まり歌だとしても、同じものを親子で詠まなくても…と思うのですが、これ三つでセットだったのかな。

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