闇き乙女

第一章

まほろば

「姫様、帯壬たちしろ様がまた新しい妃を迎えられたそうでございますよ」
 寝ぎたなく上掛けをかぶっていた桃生ものうは、年とった侍女のその言葉でがばっと跳ね起きた。「何ですって」
「たいへんおめでたいことですわね」侍女の中で一番の古参である和可女わかめは言った。だが、年若い侍女のほうは、ちっともめでたくなさそうにあいづちを打った。
「あの兄は、いったい何人の妃を持てば気が済むのかしら」桃生はいらいらと言った。「遠征に行くたびに妃が増えていくではないの。それで、兄様はいつ戻ってくるの」
 起きあがった桃生をつかまえて、和可女はすばやく着替えをさせた。帯壬からの便りはその帰還を知らせるものであり、妃のことはほんの片隅にしかつけ加えられていなかったのだが、それをあえて持ち出すところが、さすがに侍女の古強者だった。桃生の性格をよく心得ている。
「あと三月みつきは、お戻りになられないでしょう。豊日国とよひのくにはずいぶん遠うございますから」
「そう」桃生はいらだちを抑え、平静になろうとした。和可女の術にはまり、まんまと心地よい寝床から追い立てられてしまった。
「どこの姫なの? 新しい妃になったというのは」
「国麻呂様のところの末姫ですわ」和可女は早くも朝餉の準備に移っており、桃生のそばに寄ってきたのはまだ娘と言ってよい侍女たちだった。
「国麻呂? 聞いたことがないわ」
「そうでございましょうとも。鄙びた土地の、ろくに財もありはしない貧しい里長ですもの」侍女たちの口調に非難がありありと込められていた。「その祖先は、あろうことか上様を軽んじ、謀反を企てたことがあるとか。今だって、異教を信仰しているという噂がありますのよ」
 今は日継ぎの御子としてあり、やがてすめらぎの地位を継ぐことになる帯壬命は、宮廷の女性たちの間で絶大な人気を誇っていた。その将来性がすばらしいのはもちろんのこと、見目もよく、華やかで陽気な気質である。人気がないほうがおかしかった。
 帯壬は、まほろばにある自分の宮に、すでに十人以上もの妃を迎えている。桃生が眉をひそめるのはもっともで、世間ではとうの昔に女好きの悪評が立っている。戯歌ざれうたの題材にされるほどだというのに、父である皇は、この日継ぎの御子にたいへんな期待をかけているのか、何も言わない。
「兄様には、身を慎んでいただきたいわ。印南いなみの姫が輿入れなさったときのこと、あなたたちも覚えているでしょう」印南の姫とは、記念すべき帯壬の十人目の妃である。「祝いの宴で詠まれた歌には、その種のからかいが込められた歌ばかり。特に叔父様のお歌がうけて、ふた月の間はどこへ行ってもあの歌を聴いたわ。とても恥ずかしくて、宮の中でさえ歩けたものではなかった」
「胸中お察しいたしますわ、姫様」
 侍女らは口をそろえて言ったが、それが建て前であることを、桃生はちゃんと見抜いて聞き流した。もし帯壬の妃になれるものならば、彼女らは何の犠牲も厭わないに違いない。無力な姫御子がどう思うかなど、どうでもいいに決まっている。
(この前、印南の姫を娶られたときに、もう妃は増やさないでと兄様にお願いしたのに。まるで聞いていないんだから)今度こそ次がないようにさせなくてはいけないと、桃生はかたく決意した。
 桃生自身は気づいておらず、彼女以外の者はみな気づいていることだが、桃生はたいへん帯壬を好いていた。いらだちのすべては若い侍女たちと同じ、嫉妬心からくるものだった。身内の好色なふるまいが恥ずかしいのは嘘ではないが、そのためにあれこれと骨を折ろうとするほど、桃生は外聞を気にしなかったし、繊細でもなかった。

Copyright © 2002-2003  ヒョウリュウジマ(漂流島)  管理人:漂う子
広告 無料レンタルサーバー ブログ blog