「よかった。桃生がまだ舌を噛み切って死んでなくて」あれから数日後、桃生に会うことを許された明吉良は、第一声にこう言った。
「ええ、元気よ」実は桃生は試みていたのだが、とても痛くて挫折していたのだった。しかし、それを伝えるのは情けないような気がするので、桃生はあいまいに微笑んだ。
「明吉良、もっと涼しい場所へ行きましょう。広くて風通しのいい――あたりが見渡せるようなところ」桃生は見られているのを感じていた。国つ神を名乗る謀反人たちは、宣言したとおり、桃生に手荒なことはしなかったものの、部屋から一歩も出さず、彼女を軟禁状態に置いていた。儚くなろうとして失敗した後、桃生はたいへん従順に振る舞い、その結果、こうして明吉良に会うことができたが、やはり監視の目は鋭く光っているのだった。
二人は庭へ出た。桃生は明吉良を伴って、彼女の条件にふさわしい場所を求め、広い敷地内をめぐり歩いた。(建物から遠くて、植木や茂みのないところがいい。身を隠せるようなものが近くにあってもいけない。見張りの目から逃れることは無理だけど、会話の内容だけは絶対に聞かれないようにしなければ)やがて、二人は平坦な広場へ行き着いた。弓矢の訓練場に使っているらしく、大小さまざまな的が並べてある。その的が気に入らない桃生だったが、その他には隠れられる場所もなく、あたりがよく見渡せた。
念のため、桃生は
「まるで、矢を射たことがない人のようね」
まさかそんなことはないだろうと思いつつ桃生が言うと、明吉良はあっさりとうなずいた。「うん、したことがない」
「誰でもやるのに」桃生は仰天した。「それなら、狩猟もやったことがないということ? 明吉良って、いつも何をしていたの?」桃生自身は狩猟にそれほど思い入れがあるわけではなかったが、彼女の男の兄弟たちは暇さえあれば弓を持って野へ出掛けていた。そのときの彼らがどんなに楽しそうにはしゃいでいたか知っている桃生だから、明吉良にその経験がないと聞くと、彼がひどく不憫に思えてならなかった。
しかし、明吉良はそんな桃生の気持ちを解したふうもなく、「いつも何をしていたのか」という問いかけに答えようと頑張っていた。
ふと広場の片隅に目をやった桃生は、矢が一本、片づけられないで残っているのを見つけた。的を大きく逸れて地面に突き刺さったそれは、帯壬を思い出させた。「――日継ぎの御子のくせに、兄様は弓矢が不得手なの。たぶん御子の中でいちばん下手。いつでも妙な方向へ矢を飛ばすの。側近の伊志治が言うには、獲物が目の前にいても、兄様は仕留めることができないんですって」話していると、いつかの光景が桃生の目に浮かんできた。そのときの狩りは好調だったらしく、たくさんの獲物があった。帯壬はそれを並べて、桃生に一つ一つ獣の名前を教えながら、「わたしが仕留めたものは一つもない」と笑ったのだった――
「明吉良。わたし、帰りたいの。まほろばへ」何度も声に出して訴えていたので、わざわざ告白する必要もなさそうだったが、桃生は言った。というより、言葉が出てしまったのだった。寝ても覚めても、桃生が思うことはそれしかなかった。
「そう」明吉良は気落ちしたようすだった。「桃生が思うなら、仕方がない」
「それでね、お願いがあるの」桃生は明吉良との距離を狭め、声を落とした。「逃げる手引きをしてくれないかしら。見張りや侍女の注意を、少しひきつけてくれるだけでいいの。後は自分でうまくやるから。お願い――頼めるのはあなたしかいないのよ」
いざとなったら土下座も辞さない覚悟で、桃生は頼みこんだ。ここで明吉良が首を縦に振らなかったらすべてが終わりだ。監視はもっと厳しくなり、逃げだすのはいよいよ困難になるだろう。桃生は必死だった。
「わたしを助けて。あなただけなの、出来るのは」
悲しげだった明吉良の顔が一変して、神妙なものになった。引き締まった表情の明吉良は、幼げではなく、むしろ頼りがいがあるように見えた。「――わかった」
桃生は安堵して、思わず明吉良の手をとった。「ありがとう。恩に着るわ」
「うまくできるかわからないけれど、頑張るよ。桃生のために」明吉良の顔には決意が満ち満ちていた。
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