闇き乙女

第一章

まほろば

 日が沈み、あたりは暗くなった。しかし、桃生と明吉良は、教えられた道のりの半分も来ていなかった。滅多に運動をしない宮廷の生活に、二人とも慣れきっており、持久力にまったく欠けていたのだ。はじめは快活だった足並みも、進んで行くにつれてだんだんと重く遅くなっていった。
 桃生は明吉良のことを、子どもだ子どもだと低く見なしていたが、我慢が足らないという点に置いては、桃生も似たようなものだった。二人はほとんど同じ距離を歩いて音をあげ、休憩をしたがったので、こういうときにありがちな諍いは一つも起こらなかった。だが、そのために、進む速さはたいへん遅い。
「野宿かしらね。このままだと」桃生はあたりを見回して言った。二人はある村を過ぎ、向かいに見える山のふもとへ続く道を歩いているところだった。右手には雑木林、左手には耕された水田が広がる。「山で野宿するのと、この場所で野宿するのと、明吉良はどちらがいい?」
「村まで戻って、どこかの家に泊めてもらうというのはどうかな」
「嫌よ、せっかく進んだのに。戻るなんてもったいない」桃生は、明吉良と呼吸が合い始めていた。あれこれ言っても、結局、彼女も子どもなのだ。
「進まないほうが無難かしら。山賊に襲われるかもしれないし」
「山賊?」
「山を根城にしている賊のことをそう呼ぶの」
 山とこの場所は、たいして離れていなかった。山に悪人が出るならば、この道でも出るだろう。明吉良の提案どおり、村に戻るのが良さそうだ。しかし、少しでも早く帰りたい桃生は、山か道のどちらにするかと考えたあげく、苦しまぎれにこう言った。「寝るのはやめにして、一晩中歩きましょうか。そうすれば、朝には関所に着けるわよ」
 明吉良は抗議する目つきになった。「疲れた」
「そうよね」桃生はあっさりと認めた。彼女もすでに疲れ果てており、両足は棒のようになっている。「第一、明かりがないもの。暗闇の中を歩いていけるはずがないのよね」
 明吉良は意外なことを聞いたように桃生を見たが、何も言わなかった。
 二人はいろいろと相談したあげく、この場所で夜を明かすことに決めた。最後は桃生の一声でけりがつくという、公平とは言い難い結果だったが、明吉良は取り立てて文句を言わなかった。疲労のために気力がないようだった。
 雑木林に入ると、ちょうどよく乾いて平らになっているところがあった。しかし、いきなり横になる気はしなかった。野宿などはしたことがない二人であり、やはり抵抗がある。桃生と明吉良は、とりあえず肩を並べて座った。
「なにか準備をしてくるべきだったわね……火打ち石とか食べる物とか」朝餉もとっていなかったので、さすがにお腹が空いていた。明吉良もうなずいた。
 それきり会話は打ち切りになり、静寂があたりを包んだ。重苦しいものではなく、心が安らぐような静けさだった。桃生はぼんやりとしつつ、明日のことを考えた。このまま何も食べずに歩き続けるのは無理そうなので、どこかで食料を手に入れなければならない。これは簡単に解決するだろうと思われた。首飾りから翡翠玉を一つ二つはずして、それを代価に欲しい物を買えばいいのだ。
(明日の夕暮れには、きっと関所に着ける。そうしたら、明吉良のことはどうすればいいんだろう)桃生は、何だかんだで別れられず、こうして今も隣にいる青年を見やった。明吉良は眠気に誘われて、心地よさそうにまどろんでいる。
 関所にたどり着き、宮中に戻ったならば、桃生は見たこと聞いたことをすべて話すつもりだ。あの屋敷には大和の兵が差し向けられ、あの者たちは謀反人として捕まるだろう――おそらくは明吉良も。
 そこまで考えが至ったとき、桃生は胸が締めつけられるような心地がした。一緒に過ごす間に、明吉良のことを気に入りはじめていたのだ。(明吉良もつれて帰ろう。兄様なら――きっとわかって、明吉良のことを弁護してくれる。良いようにしてくれるわ)
 桃生は心にそう決めて目をつぶった。優しく暖かな眠りが訪れ、桃生をたちまち引き込んでいった。
 そして、どれくらい経ったころだろうか。桃生はふと目を覚ました。明吉良も起きていていた。
「誰か、いる」強ばった顔で、明吉良は告げた。
「誰かって、誰よ」事態がつかめないながらも、桃生はただならぬ気配を感じとった。
「三人いる。男が二人に女が一人。屋敷の人達ではない」
「見えるの?」三日月が照らしているものの、あたりは暗い。やがて目が慣れてきても、桃生にわかるのは明吉良の表情ぐらいのものだった。
 しかし、明吉良には見えるらしかった。そっと見回し、桃生にあらためて報告した。
「とても近い。僕たちのことをうかがっているような感じがする」
「賊だわ」桃生はくちびるを噛みしめた。――やはり、こんなところにいるのではなかった。
「どうする?」
「逃げるしかないわ。やつらは、わたしたちを襲おうとして機会をねらっているのでしょう。じっとしていたら思うつぼよ」
「どこに逃げるの?」
「この際、くやしいけれど、村に戻るわ」言ってから、桃生ははっとした。村はどちらの方角にあるのだろう。あたりのようすがてんで見えない桃生には、それさえ定かではなかった。
「明吉良、あなたが先に行って。わたしでは、村がどこにあるのかわからないわ」
 明吉良は驚いたように見つめたが、次の瞬間には決意した表情でうなずいた。「では、僕の後についてきて。村はあちらにある」
 明吉良が指し示したのは、桃生から見て右斜めの方向だった。最初に明吉良が飛びだしていき、その後に桃生が続いた。明吉良の思い間違いであればいいと思ったが、桃生が走りだすと、その背後から追ってくる者があった。迫ってくる。以前、体験したことのある恐怖に、桃生は震えた。
 雑木林から道に出ようというときだった。桃生は長い裳裾を踏み、うっかりと体勢を崩した。山賊が追いついて、手にした何かを振りかぶる。月の光を受けて、それはぎらりと輝いた。
(殺される――)桃生は体がすくんで動けなかった。
 明吉良がとっさに気づき、戻ってきた。明吉良は果敢にも賊の前に立ちふさがり、桃生をかばってくれたが、それでは解決になっていなかった。殺されるのが明吉良になっただけだ。桃生は思わず目をつぶった。耳を引き裂くような悲鳴があがる。
 さらに誰かが叫んだ。桃生が無理やり目をこじ開けると、月明かりの下にぼんやりと人影が浮かんでいた。それは明吉良だった。
 明吉良が無事なようすに桃生はほっとしたが、それと同時に顔をゆがめた――なんだかこげくさい匂いがする。
 明吉良の足元に目をやった桃生は、すんでのところで悲鳴をあげそうになった。そこに倒れていたのは人間だったが、にわかには信じがたかった。顔が焼けただれて真っ赤になり、目も鼻もわからなかった。ただ赤い色ばかりが輝くように生々しい。
(明吉良が――明吉良がやったの?)
 恐怖に満ちた目で、桃生は明吉良を見てしまった。そのとき明吉良がふり返り、二人の視線はまともにぶつかった。明吉良ははじめ、驚いたようすで桃生を見つめていた。それが傷ついた表情に変わり、悲しみにゆがんでしまうまで、たいした時間はかからなかった。
 それでも二人は見つめ合い、息のつまるような沈黙が流れた。しかし、それも長くは続かなかった。明吉良がとつぜん膝からくずおれたのだ。
「明吉良!」
 桃生は駆けよって抱き起こしたが、明吉良の体のどこにも傷はなかった。けれども、明吉良は苦しそうにあえぎ、額には脂汗が浮かんでいる。体が熱かった。桃生は今さらながら明吉良にひどいことをしてしまったのを悟り、堪えきれずに泣き出した。
 賊の男二人は明吉良の手によって半死にされて転がされていたが、残る女のほうは無傷だった。腰を抜かしていた女が気を取り戻し、ふたたび自分に剣を向けるのがわかったが、桃生は動かなかった。明吉良を抱いていて動けなかったし、動きたくもなかった。その女によって殺されれば、明吉良に対する罪滅ぼしになるような気がした。桃生は死をもたらす激痛を待っていたが、それはいつまで経ってもやってこなかった。
「逢い引きもいいのだがな、おぬしらを捜し出すほうの身にもなってくれよ」
 桃生がぎょっとしてふり返ると、見上げるような大男が立っていた。大男の足元には賊の女がのびていた。彼はあたりを見回し、山賊がもう二人倒れているのを見つけると、小さく口笛をふいた。
「これはたまげた。明吉良もなかなかやるではないか」大男は桃生に目をやると、人の良さそうな笑みを浮かべた。「おぬしを守ったのだな。明吉良は男だな」
 桃生はまだ泣いていた。「どうにかしてください。このままでは、明吉良が死んでしまう」
「どれどれ」大男はしゃがみこみ、苦しんでいる明吉良のようすを眺めた。「これは、あれだな。力を使ったは良いが、うまく制御できなかったのだ。おい、泣くな泣くな。このくらいで死にはせん……たぶんな」大男のつけ加えた最後の言葉で、桃生はまた泣き出した。
 大男はあわてて言いつくろった。「どこかで休ませれば良くなるはずだ。ここから一番近いのは……印色いにしきの君の館か。気は進まぬが、仕方あるまい」
 大男は明吉良を軽々と担ぎあげた。そして、桃生をふり返り、頼むようにしてたずねた。
「おぬしは頭が良いか?」
「え?」
「いやなに」大男は笑って弁解した。「印色の君の館は、馬鹿お断りなのだ。わしはそれであの館には近づかぬ。わしはどう考えても頭が良くはないからな。明吉良もかなりの阿呆だろう。せめておぬしが賢ければ、穴埋めになるかと思ったのだ」
「ごめんなさい。わたし、勉強のほうはちょっと……」桃生はなんとなく恥じ入って答えた。
「まあ、印色の君は病人を門前払いするほど、血も涙もないやつではない。大丈夫だろう」大男は言ったが、しかし、どこか不安そうだった。

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