肥沃なこの大地を、先人は
それでも天つ神に反する荒ぶる神はいまだ存在し、それを平らかにするため御子たちが派遣される。彼らの力量をはかり、皇となるにふさわしいかの試験でもあった。荒ぶる神は当然討伐の将である御子の首をねらうし、それでなくても明日の命をも知れない戦の中に身を置くことになる。
それは危険な役目であり、だからこそ得られる名声も高いのだった。討伐とは、気をひきしめてかかるものごとのはずだった。だからそれで妻を得てくるなど、もってのほかのふるまいだと桃生は思うのだが、紀伝を紐解いてみると、案外そういう色事にうつつをぬかして帰ってくる天つ御子は多かったりする。決して帯壬が特異なわけではなかった。
しかし、それを承知したからといって、この胸のいらだちがおさまるものではなかった。桃生はずっとぴりぴりしていた。三日経ってもその状態から抜けだせず、何事にも手がつかなかった。ときどき思いだしたようにかんしゃくを起こすので、侍女たちは気をはりつめていたが、和可女は涼しい顔だった。桃生はよく眠れないらしく、いつものように寝坊をすることがなくなったし、寝床でねばることもなくなった。この姫を寝床からひきずりだす手間にくらべれば、かんしゃくなど大した問題ではないと、和可女は考えていたのである。
このときも、侍女のちょっとした行いが勘に障り、桃生は怒りだす寸前だった。とつぜん慌ただしい足音がしたかと思うと、若い侍女が鹿のように飛びこんできた。
「何なのですか、騒々しい」眉をつり上げたのは和可女だった。桃生はふいをつかれて気がそれ、腹立たしかったことを全部忘れてしまった。
「帯壬命様がお戻りになられました」
「まだ三日しか経っていませんよ」
「でも、お戻りになられました」侍女は息を切らせ、馬鹿になったように受け答えた。
桃生は考えるよりも早く動いていた。立ちあがって部屋を出ると、まっすぐ広場へと向かった。その後ろから侍女たちもついてくる。二番目に通る渡殿を過ぎたところで、母の氷室姫とはち合わせた。
「まったく帯壬ときたら、なんて子でしょう。こんなに早く着くなんて」予定をくるわされるのが何よりも嫌いな氷室姫は、かなりな渋面だった。
「たぶん豊日国からは、ずっと前に出発していたのですわ。あの便りを出したのは、まほろばに近づいてからのことなのよ。いかにも兄様のしそうなことだわ」
氷室姫は眉をひそめた。「桃生、もうちょっと慎ましやかに歩けないものなの。あと、そういう顔はおやめ。みっともないですよ」
「兄様が悪いのよ。わたしのせいではありません」普段はしおらしく母親の機嫌をとる桃生も、今回ばかりは言い返した。
日継ぎの御子の帰還を見届けようと、宮廷中の人々がつめかけていた。いつもは落ち着いて雅な神都の宮は、偲ぶ影もなかった。
両翼を広げた殿舎の前には見はるかす広場があり、今はそこに戦支度の一行が折り目正しく控えている。彼らはたいへん静かに待っていた。それとは対照的に、正面にそびえる高殿をはじめ、左右の宮では官人たちが支度にあわただしく行き交っている。長旅から戻ったばかりの一行は消耗していて見るからに哀れっぽく、事情を知らない者が見たら、まず間違いなく顔をしかめ、宮の体制を批判することだろう。
「まあ、見てください。兄様ったら、先ぶれの使者も寄こさなかったのだわ」
「そうなのでしょうね。でなければ、このわたくしが裾を乱すことなど、あってはなりませんからね」
氷室姫の声は並々ならぬ怒気をはらんでおり、桃生はぎくりとした。氷室姫は前庭のほうを刺すようなまなざしで見つめ、そして背を向けた。正面の宮に、氷室姫の席は用意されている。
母の怒った背中が見えなくなると、桃生は広場を見回して、帯壬の姿を探した。一行の将である彼は、最前にいるはずであり、すぐに見つけられた。さすがにやつれて汚れている。始終浮かべているにこやかな微笑は消え、険しげといってもよい顔つきだった。
しかし、それは見せかけに過ぎなかった。一行を迎える準備にあわてる役人たちを見つめる帯壬の目が、うれしそうに輝いているのを桃生は見逃さなかった。彼はこの状況を仕組み、おおいに楽しんでいる。
「馬鹿みたい」
桃生は言うと、踵を返した。付き添ってきた女官がびっくりした声をあげた。
「姫様、どちらへ?」
「部屋へ戻ります。あんな兄様など、どうでもいいわ」
「上様に叱られますよ」
「叱るなら、わたしよりも兄様よ。こんな帰りかたをして。どれほど皆が迷惑したか、ちっともわかっておられないのだから」
桃生に従いながら、若い女官は名残惜しそうに広場をふり返った。実に一年ものあいだ、日継ぎの御子の姿を見ることなく過ごしていたのだから、無理もなかった。
「あなたたちはいいわよ、残っても」桃生は気づいて、ちょっと微笑みながらつけ加えた。気に障ることが少しあるとしても、身内が好かれているのに悪い気分はしない。
「まあ、とんでもないですわ。和可女様に怒られます」
「黙っていてあげる――でも、わたしが一人で先に戻ったらばれてしまうわね。いいわ。わたしは道草をしてから帰ることにする」桃生はてきぱきと指示を出した。「あなたたちは終わったら部屋に戻って、わたしがどこかへ行ってしまって見つからなかったと和可女に報告なさい。あの人なら、わたしがどのあたりをふらついていても、すぐに見つけだすわ」
女官の一人が首を傾げた。「それなら、姫様もご臨席なされたほうが……」
「ここに居たくないの。わたしには兄様を労うつもりなんか、これっぽっちもないのよ」桃生はきっぱりと言った。
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