闇き乙女

第一章

まほろば

 初春とはいえ、吹きぬける風は冷たく、野原で屈みこむ者たちのようすは哀れなものだった。空はどんよりと重くたれこみ、今にも雨が降り出しそうだ。姉の中角なかつのは、忌々しげに天を仰いだ。
「ああ、いやだ。若菜摘みの日が、よりにもよってこんな陽気なんて。凍えてしまいそうよ」
 中角姫は父親似で、その凛々しいまなざしが彼女を賢げに見せていた――実際の姿はそれと程遠かったけれども。
「どうしてこんな行事があるのかしら。煩わしいったらないわ」
「この一年の健康と、長寿のためです。煩わしくなどありません」そばにいた侍女がぴしゃりと言った。賛同してほしかった中角は、不満げに頬をふくらませた。桃生と中角はまるで外見の似ていない姉妹だったが、こういう顔のときだけはそっくりに見えた。
「七草の粥が万病を防ぐなんて大嘘よ。粥を食べたのに、わたし、去年は風邪をひいたもの」
「それは姫様がきちんとなさらないからでございましょう」
「ええ、そうよ。でも、そこをどうにかするのが、七草の効能なのではなくて?」
 中角は言うと若菜を入れた籠を放りだした。桃生も便乗して、自分の手籠を投げ出す。
「姉様、今年は恋人に七草を贈らないの?」
 桃生がたずねると、中角は首をすくめた。
「君がため――というやつね? もう、やらないわ。つまの数が増えてしまって増えてしまって、全員に贈ろうと思ったら一日じゅう摘んでいても終わらないわ。数人だけに贈るのでは、角が立つし」
 帯壬と毛並みは違うものの、中角姫もかなりの美人だった。もっとも、華々しい宮廷に置いては、美しくない者を見つけるほうが難しかった。桃生はいつもそれで引き比べられ、肩身の狭い思いをするのだった。
 二人の姉妹は、すっかりやる気のないようすで地面に座りこみ、おしゃべりを始めた。侍女は害もないと思ったのか、姫を放って、同僚たちのところへ行ってしまった。
 桃生と中角が話題にしたのは、新しく兄の妃になった速津姫のことだった。遠国から来た速津姫は、家柄も何も謎につつまれていた。情報通の中角はそれなりのことを聞きこんでおり、彼女の話によると、速津姫の祖先が逆賊だという噂は本当のことらしい。
「めずらしくはないわ。この大和にだって始まりがあって、もとは小国だったんですもの。戦をして、いまのような大国になったのよ。豪族というのは、実際には大和に敗れて滅んだ国の王族なの。だから、宮廷を歩いていれば逆賊の子孫にいくらでも行き当たれるわ」
 中角にしては知的な物言いだった。桃生が感心して見返すと、姉はげんなりと言った。「三日後に試験なの。これが出るのよ」
「わたしもそうだわ。明後日、計算の試験が」嫌なことを思い出し、桃生はため息をついた。
「頑張ってね」
 中角は疲れたようすで言った。励まされるどころか、ますます滅入ってくる桃生だった。(姉様の年になっても、まだ学んでいなければならないのよね……)
 中角は大きく伸びをして、気持ちを切り替えるように口を開いた。「速津姫のことだけど――なかなかおもしろい話を聞いたのよ。ほんの噂だけれどね」中角はそこで声を落とした。「彼女こそが反乱を企てていたというの。昔の話でなく、現在のことよ。速津姫は巫女で、たくさんの者達が従っていたのですって。そこへ兄様が行かれて、速津姫を娶り、騒ぎを鎮めたとかなんとか――」
「速津姫が謀反人? そんなのあり得ないわ。謀反人は縛り首でしょう。妃になるのではないわ」
「謀反で日継ぎの皇子の妃になれるのなら、皇に反旗をひるがえす者が続出してしまうわね」
「冗談はやめてよ。その話、本当なの?」
「噂だと言ったでしょう。真実のほどはわからないわ」
「でも、それが本当なら――兄様は、速津姫を征伐しに行ったということ?」
 桃生のしつこさに中角は閉口した。「おまえ、変なところでまじめな子ね。単なる噂よ。深く気にすることではないわ」
「だって、謀反といったら大事でしょう」姉の無関心なようすに、桃生は驚いた。
「そうでもないわよ。豊日などの果ての国はまほろばから遠すぎて、支配が行き届いていないのが現状だし」
「でも、それが妃になるなんて――父様はなんとおっしゃっているの?」
「噂ごときでは何もおっしゃらないわよ。だいたい、明吉良の君を御子にした父様なのよ。言えた立場ではないわよ」
「明吉良の君? どうして、いきなり明吉良の君が出てくるの?」
 中角は意外そうに首を傾げた。「あら、知らなかったの? 彼の親はふたりとも謀反人なのよ。昔、まほろばの北に佐保という国があって、明吉良の君の父君はその国の王だったのですって。つまり、明吉良の君は亡国の御子というわけ」
 桃生はぼうぜんとして言った。
「全然、知らなかったわ……」
「ずいぶん驚いているようだけれど。明吉良の君がどうかしたの?」
「わたし、このあいだ、明吉良の君に会ったの」
 桃生の心に真っ先に浮かんだのは、彼の子どものような笑顔だった。隠者のような寂しい暮らし、唖で話すことはできず、そして親は罪人。なのにどうして、彼はあれほど清々しく笑うのだろうか……
「まあ、すごいわ。わたしもまだ会ったことがないのに。どうだった? 噂どおり、美形だった?」
 中角ははしゃいで聞いた。桃生はなんとなく食い違うものを感じながら答えた。
「うん、きれいな顔をしていた」
「どこで会ったの? わたしも会えるかしら」中角の声は急に春風のようになり、曇天の下で聞くと非常に妙だった。
「庭にいたら、たまたま会ったのよ。運が良かっただけだわ」ころりと変わった姉のようすをいぶかしく思い、桃生は慎重に言った。
「では、わたしのほうから訪問してお会いしましょう」
「なぜ?」
「だって、明吉良の君はきれいなのでしょう? ぜひとも仲良くなって、手元に置いておきたいわ」
 桃生は思いきり顔をしかめた。帯壬の妃騒動にとりまぎれて忘れていたが、中角もかなりの好き者なのだった。
「不満そうね。まさか桃生は、兄様だけでなく、わたしのことにまでやきもちを焼くの?」
「姉様にはたくさんの相手がいるでしょう。それを増やさなくても。さっきだって多すぎて困るとこぼしていたじゃない。それに、明吉良の君は謀反の子なのだから……」
「皇族の養子になった時点で、そんな汚名はすすがれていてよ」
「明吉良の君は唖だわ。しゃべれないのよ」
「静かな人っていいと思うわ」
 あれこれと押し問答を続けた結果、桃生はがっくりと肩を落してうなだれた。「顔さえ良ければ、姉様はそれでいいの?」
「熱心に止めるわね。もしかして、桃生……」中角の顔がみるみるうちに楽しそうなものになった。桃生が何も言っていないのに、一人で知ったふうにうなずいている。「それならそうと早く言いなさいな。わたしはおまえの姉なのだから、協力は惜しまないわよ。明吉良の君のことは残念だけれど、おまえに譲りましょう」
「あのね、姉様……」
 桃生は止めようと試みたが、無駄だった。
「桃生は年頃だというのに、ちっともないようだから、姉様はこれでも心配していたのよ。わかったわ。必ずやこのわたしが、おまえの想いを成就させてあげる。大船に乗ったつもりでいてちょうだい」
 中角が大きな声を出したので、まわりの者達が顔をあげ、不審そうな視線を向けた。桃生はあわてて中角を押さえこんだ。
「姉様、やめて。余所のおかたも来ておられるのよ」
「あら。こうやって知らせておくことが、明吉良の君に対する手出しの牽制になるのよ」
「牽制なんてしなくていいの。明吉良の君なんて、何とも思っていないわ」
 中角はまじめな顔で諭した。「こういうときは素直にならないとだめよ、桃生」
「だから違うんだってば」
 しかし、時はすでに遅く、人々の好奇心に満ちたまなざしで桃生を見ていた。
(宮廷人って、どうして、こういう話が好きなんだろう)桃生は頭を抱えこみたい気分だった。宮中に戻ったとき、その話でいろいろと言われるのが、今から目に浮かぶようだった。桃生は繊細ではないが、やはりそういうのは気持ちよくない。
 中角が閃いたように言った。「七草を摘んで、明吉良の君に贈るといいわ。訪ねるときの口実にもなるし」
「姉様、あちらに行きましょう。ここの若菜はあらかた摘んでしまったわ」すぐさま中角を黙らせる方法が思いつかなかった桃生は、苦しまぎれにそう言って、姉をなるべく人気のないほうへひっぱっていった。

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