真夜中にたたき起こされた印色は、このうえもなく不愉快そうだった。大鷹は桃生と明吉良を侍女にまかせ、館の主にあいさつをするべく待っていたのだが、嫌な顔の印色を見たとたん、明日にしておけばよかったかと少しばかり考えた。
几帳面な印色は、寝間着をふだんの服装にあらためて、大鷹の前にあらわれた。
印色は旧友を見つめ、冷やかな感じのする声で問うた。「何の用なのだ、大鷹よ。なぜ、子どもなどを連れてきた」
「ただの子どもではないぞ。闇き姫と剣の守部だ」大鷹は悪びれずに答えると、事のあらましを説明しようとしたが、印色はそれをさえぎった。
「闇き者のことは聞いている。国つ者のあいだでは、その噂で持ちきりだ。しかし、剣とその守部まで取り戻していたとは初耳だ」印色が怪訝な顔でたずねた。「長老が命じられたのか? 剣の守部を助けだせと」
「いいや、沙流殿がそのほうが良かろうと判断されて──」
「愚かな」
みなまで言わせず、印色は怒鳴りつけた。「なぜ、そなたがとめなかった。上がくだらぬことを言いだしたとき、それを思いなおさせるのも、部下の務めのうちだろう」
明吉良の救出の案が持ち上がったそのとき、真っ先に賛同したのは他ならぬ大鷹自身だった──「なにがそんなに悪いと言うのだ。明吉良のやつは、囚われの身のまま十年以上も過ごしてきたのだぞ。そろそろ自由になってもよい頃だ。そしてわしらは、それが困難というわけではない、やろうと思えばすぐにでも出来るのだ」
「何のためにあれほどの苦労をして守部の代替えをし、大蛇の神を明吉良の体に移し替えたと思っている」印色は怒りのために高ぶる気持ちを抑えようとした。「大蛇の神と、それによってもたらされる剣の力は恐るべきものだ。天つ神はその力を手中にせんと欲し、剣はいつでも争いの源だった。明吉良のすべては、それを解決するための策だったのだ。年月も、助け出せるか否かも問題ではない。まほろばの宮で天つ神のもとにいること、それが明吉良の務めだったはず」
「これまでは、そうだったかもしれん」大鷹はもったいぶってうなずいた。「だが、今、われらを導く闇き者が現れたのだ。あの剣は天つ神のためにしか働かぬが、闇き者ならば振るえるのだろう? 闇き者は天つ神だからな。それならば強大な力をほこる剣を取り戻し、闇き者に捧げるのが常套というものではないのか、印色の君よ」
「そなたと話していると頭が腐りそうだ」印色の我慢もここまでだった。
「明吉良に剣を制御する力はない。忘れたのか。だからこそ、明吉良を守部に選び、天つ神に引き渡したのだぞ。今さら、取り返したところで役に立つものか」
「そう怒るな。体に悪いぞ」大鷹はにやりと笑い、酒の杯をあおった。酒は先程から出されていたが、印色の怒りを煽りそうで、なかなか口をつけられなかったのだ。
「明吉良が剣を使いこなせなかったのは、もちろん知っている。しかし、それは昔のことだ。今もそうとは限るまい。人は誰しも時の中で成長するものだぞ」
「──明吉良が剣を使えるようになったと、言っているのか」
「そうだ」
「あり得ないな」印色は言下に言い放った。
ところが、大鷹に痛手を受けたようすはなかった。むしろ、得意そうに破顔する。
「まあ、わしの話を聞け。あの二人が駆け落ちごっこをしたことは話したか?」
「なんだ、それは」
「沙流殿の屋敷から逃げだしたのだ。闇き姫が望み、明吉良がその手助けをしたようだな。なんとも微笑ましいだろう」
「監視ぐらい、しっかりつけておけ」印色はあきれ顔だった。
「あの二人、わしが見つけだす前に、盗賊に襲われかけたのだ。明吉良は勇敢にも闇き姫を守ったのだぞ。賊のやつらめは、全身に火傷を負い、ただれておったよ。この火の力こそ、噂に名高い大蛇の神の力に相違なかろう。明吉良が力を御せるようになった証だ」
印色は考えこんでいた。「明吉良には守部の適性がまるでなかった。そんな者がとつぜん力を使いこなせるようになるはずがない……」
「どんなに剣の下手な者とて、鍛えればそれなりになるものだ」ときたま、少年たちに剣術の手ほどきをしている大鷹が言った。
「神の力と剣を一緒にするな」印色は憮然として言ったが、すぐに思案顔に戻った。「──だが、前例がないからといって、軽く否定するのは馬鹿げたことだ」
「おお、わかってくれたか」
「そなたの主張に賛同したわけではない。そういう可能性も見当しなければならぬと言っただけだ」
帯壬はすげなく返したが、大鷹の笑みはそのままだった。印色に杯を渡し、さかんに酒を勧める。
「よいよい。型破りな話は、やはりおぬしとするに限る。さすがは奇異な者よ、堅物のくせに話がわかる」大鷹自身は誉めているつもりだった。
「だれが堅物だ」印色は苦笑して、酒を飲みほした。『奇異な者』と言われたのには触れずに。
「喜びに水を差すようだがな、わたしが何を言ったところで変わることは一つもないぞ。わたしは沙流王のような権力は持ち合わせていないし、嫌われ者だからな」
「何を言う。長老のお気に入りのおぬしではないか。沙流殿は心配しておられたぞ。今回の件をまかされるのは自分ではなく、印色の君ではないかと──」
「闇き者の出迎えは、国つ神にとって重要な儀礼のひとつ。余所の者のわたしにはまかせられない」
「そうか?」大鷹は自分の上司に役目がまわってきたのをうれしく思っていたが、友人が仕事をもらわなかったとなると気に入らないのだった。
「そうだとも。沙流王を差しおいてわたしを持ち上げては、国つ神の序列が狂う。長老に対する不信感が生まれ、一族の中にそむく者があらわれるかもしれぬ」
「今さら、気にしなくてもよいだろう。そむいている者だらけなのだし、天つ神に焦がれるのがわしらの性でもある。仕方のないことだ」
友人の豪快な物言いに、印色は滅多にないことだが微笑んだ。「これ以上、裏切り者を増やしてはならない。このあいだ、豊後の速津姫が日継ぎの御子についていったばかりだ。この痛手のうえにさらに何かあっては、とても持ちこたえられない。国つ神は滅ぶかもしれない──天つ神に従っている者たちを除いて」
「うむ──」大鷹にもようやくわかったと見えて、難しげな顔で腕組みをした。
「あまり考えすぎるな。そなたの頭はそういうことには向いていないのだから」
印色は揶揄して、空になった杯に酒を注ごうとした。そのときだった。「──闇き者の力を借りるとしても、国つ神のことは国つ神で解決せねばならぬと──わしもそう考えていた。じゃが、そのようなことにはこだわっていられぬらしい」
男二人はぎくりとして、声のほうをふり返った。座敷の上座に、いつの間にか、腰の曲がった老婆が座っていた。それは桃生があの森で出会った老婆だった。
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