闇き乙女

第二章

天つ神

「遅いわ」今、桃生は、懐かしい腕にすっぽりとくるまれていた。「わたし、ずっと待っていたのに。ちゃんと探してくださった? それにしては、とてもとても遅かったわよ。ねえ、怠けておられたでしょう。うるさい妹など、いないほうがよろしかったの?」
 兄御子の手が、桃生の髪の上をゆっくりとすべり降りる。うれしさに、桃生の口許はほころんだ。いつにない素直さで、桃生は告白する。「毎日がね──ほら、一日千秋って言葉があるでしょう──あんな感じだったの。兄様のまぼろしが見えそうだった」
 今度は、桃生の肩から腰にかけてを、帯壬の手がなぞる。兵士たちが館を荒らし、人々が逃げまどう喧噪は、桃生の耳にはまるで届いていなかった。桃生は、長い間、帯壬の胸に顔をうずめていた後で、やっと明吉良と青星たちのことを話さなくてはと思い至った。
「兄様、あのね──」顔をあげた桃生ははっとした。帯壬の顔にはいつもの笑みがなく、瞳さえ輝かないで悲しみにうち沈んでいた。桃生は息をのみ、悲壮な兄の顔を見つめた。「兄様──」
「可愛い子」
 ささやかれた声音は暗かった。桃生は不安になって、帯壬の言葉をさえぎり、確かめるように言った。「帰れるのでしょう。兄様が助けに来てくださったから、わたし、帰れるのでしょう」
「わたしの妹。わたしのおまえ。兄様もおまえのことをずっと想っていたよ」
 はぐらかされた答えに、桃生は透きとおるほど青くなった。
「疑っておられるのですね? 確かに、ここは謀反人の館です。けれども、わたしは、わたしは──」ほとんど絶叫に近かった。「わたしは拐かされただけ。謀反の仲間ではありません。天下に仇なすようなことは、誓って誓って、しておりません」
「わかっている。わかっているとも」帯壬はふたたび桃生を強く抱きしめた。「おまえは何も悪くはない。さだめのためだ。何もかも」
 桃生もまた、帯壬にかきついた。今、ここで手を放したら、遠く隔てられて二度と会うことができなるような──すべてを失ってしまうような、そんな予感に胸がざわめいた。
「彼らは、わたしを闇き者と呼びました。何のことなのかわかりません。知りません。わたしは違う、そんなものではないわ」言葉を重ねれば重ねるほど、真実から離れていくような気がするのはなぜだろうか──
「おまえは穢れていない。おまえの本質は明るいものだ、輝くものだ。わたしは知っている。けれども、さだめが──背負ったさだめが、おまえの生を悲しくしている。還りなさい。おのれの存在のむごさを知る前に。すべてがはじまる前に還りなさい」
 時間が一瞬、止まったような気がした。頭を打たれたような衝撃と共に、桃生は信じられないまま聞いた。
「──死ねと、言われるのですか。あなたが……わたしに」
 帯壬の顔が苦しげにゆがんだ。そのすべらかな頬を、涙が一筋、静かにつたい落ちる。
「兄様も死ぬ。いつか必ず死ぬ。だから──待っていて、そのときまで。わたしはおまえに会いにいくから。絶対に会いに行くから。どこにいても見つけ出そう」
 桃生は、左の脇腹に冷たい感触を感じた。抗いたいのか、受け入れたいのかさえわからない。桃生は眼を大きく見開いて、帯壬の顔だけを見ていた。初めて見る、涙に濡れた顔──

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