闇き乙女

第三章

変革

 桃生がふつう程度に動けるようになると、青星はただちに出発しようと言い出した。始めはうなずいた桃生だったが、青星がその言葉どおりに、今すぐここから去るつもりなのを知ると、さすがに引き止めた。
「待ちなさいよ。せめて、速津姫に断ってから」
「あいつに言うと、まだ大事をとったほうがいいの何のと、うるさいじゃないの。あいつの居合わせていない今が、ちょうどいい機会よ」
 青星はたいてい超然としている娘だが、速津姫のことになると、あからさまに不機嫌になった。ことばも態度もとげとげしくなり、まさに一触即発という感じなのだ。桃生は一度、青星のそういう振る舞いを改めさせようと試みたことがあるのだが──青星は、普段おとなしいぶん、怒るとたいへん恐かった。竜の逆鱗に触れたと形容しても、あれは言い過ぎでない体験だったと今さらながらに思う。
(触らぬ神に祟りなし……まあ、いいか)桃生は逆らうのをやめて聞いた。「行ってもいいけれど、それでわたしたち、どこへ向かうの?」
美和みわよ。今から行けば、真昼には着くかな」
「美和? それって、檜原の社がある美和のこと?」
 桃生がぎょっとして聞くと、青星はそのとおりだとうなずいた。桃生はさらに驚いてあわてた。「父様のおられる珠城宮たまきのみやと、目と鼻の先ではないの。ということは、ここはまだ大和の中なの?」
「そうよ。親父様の館があったのは河内国だけど、少し東に行けば大和に入るのよ」
 桃生はぼうぜんとした。大和からたいして離れていないとわかっていたものの、ここまで近くだとは想像もしていなかった。
「沙流王のお屋敷があったのも、そのあたり?」
「そうね──よく覚えてないけど、河内のどこかじゃなかったかな」
 桃生はわずかばかり黙りこんでから、決意をこめた口調で言った。「わたし、あなたたちの仲間になりたいと思っているの。本気よ」
 青星はなにかを言いかけて、途中でやめてしまった。それが気にならないでもない桃生だったが、朗らかな声で続けた。
「だから、あなたたちのことは何でも知りたいと思っているの。些細なことでも、話してね。ぜんぶ、あなたたちと同じようにしたいのよ」
 青星が立ち上がり、桃生がそれについて外に出ていくと、着いたところはなんと厩舎だった。桃生は入り口のところでしり込みして、おそるおそる覗きこんだ。
「青星は馬に乗れるの」
「乗れないの?」
 青星の声に馬鹿にする響きはまるでなかったが、桃生はなんとなくむっとした。「乗れないわよ。文句ある?」
「別にないけど」
 青星が選んだのはきれいな栗毛の一頭だった。桃生には雌か雄かの見分けもつかなかったが、その馬は立派な体格をしており、気性もなかなかに荒そうだった。
「く──鞍は?」
「探すの、面倒くさいから」青星はあっさりと答えた。
 桃生は顔をひきつらせて、それから、なるべく明るい声で提案した。「ねえ、馬はやめにして、歩いていきましょうよ。ほら、馬なんかに乗って揺られると、わたしの傷口が開くのではないかと思うの」
「そう? じゃ、なるべく揺らさないようにするわね」
「そうじゃなくて、歩いていきましょうってば──ねえ、わたし、裳を履いているし。これでは風でめくれてしまう」
「あたしも裳よ」
「じゃあ、二人そろって慎み深く、歩行かちで参りましょう」
 さっさと馬にまたがった青星が、ふと気づいたようにたずねた。「桃生、もしかして恐いの?」
「恐くなんかないわ。失礼ね」桃生は思わず強気で言い返してしまった。
「それなら、よかった」
 桃生が訂正しようとしたときにはすでに遅く、青星によって馬上にひっぱりあげられていた。そしてとめる間もなく、馬は走り出してしまったのだった。

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