それから間もなくして、女は名残惜しそうに体を離した。まだ日は高く、活動するべき時間なのだ。女にも、しなければならない用事があった。
女と入れ違うようにして中角がやって来た。中角は、遠ざかる女の後ろ姿を不審そうに見つめた。
「いま、出ていかれた女のかたは、どなたなのですの? 兄様の妻の――何という名だったかしら。ええっと、そう――
「似ていて当然だろう。伊南の妹だよ。伊南と会うために上ってくると聞いたので、人を使わして呼び寄せたのだ」
「納得しましたわ。姉姫と同じで、あのかたも見栄えのしない容姿なのですね。わたくしのほうが十倍は美しいわ」
「そうか?」
「そうですわよ。哀れな兄様。まったく目がおかしいのだから」
「いいじゃないか。それでうまくいっている」帯壬は大きく伸びをした。「それで、おまえは何をしに来た。ここには近づくなと言っておいたはずだろう」
「勝手なことをおっしゃいますわね。ここをどこだと思っておりますの? わが
帯壬は思い出したように聞いた。「何日、経った? わたしがここへ来てから」
「五日ですわ。いきなりおいでになって、部屋を貸せというから何かと思えば。毎日、ごろごろしているばかりではありませんか。しかも、女をとっかえひっかえ連れこんで」
「あれみたいなことを言うね。中角はもっと理解があるものと思っていた」
帯壬が桃生のことを持ち出すのは、ここのところ絶えてなかったことだ。しかし、むくれていた中角は聞き逃した。
「世に二人といない、いい女がここにいるでしょう? わざわざ取るに足りないものをお相手にしなくてもいいのに」
「取るに足りないとは、これまたひどい。わたしはよき人を選んでいるよ。どれも、ちゃんと役立っているだろう」
「ふうん」中角の顔に、満足げな笑みが浮かんだ。「兄様は、どこまでも天つ神なのね」
「それはそうだとも」
「ならば、いいわ。確かに、わたくしは無力だもの。天つ神の求めるものは何一つ、持っていないものね」
「おまえが無力? そんなことはあるものか――」
部屋の中は、あいもかわらず暗かった。伊南の妹姫が出ていったときに開けた扉は、中角がきっちりと閉めていた。それきり確かな光は入りこんでいない。中角はしなやかな動作で、帯壬の背中に寄り添った。
「いつまで、ここにいらっしゃるの?」
「いいや、もう発つよ」
帯壬はきっぱりと言い、中角を仰天させた。「どうして」
帯壬は中角の動揺を気にするふうもなく、きびきびと立ち上がった。「用は済んだよ。まずは自分の宮に戻って支度を整え、それから珠城の宮へ行く。わたしの馬はどこの
「兄様が、わたくしの――わたくしのところへ来られたのは、いったい何のためだったのですか」中角の肩はわなないていた。
しかし、それに気づいているのかいないのか、帯壬は変わらない微笑みで答えた。
「都の中で、この場所がいちばんあれの心を感じやすかった。わたしは日がな一日、怠けていたわけではないのだよ。意識の向こうに、ずっとあれのことを探していた」
帯壬はとびきりの笑顔を中角に向けた。それだけで輝きを放ちそうなほど、まばゆい笑顔だ。暗い中でも、不思議にはっきりと見てとれた。そして、その声もまた、小川のせせらぎのようにすがすがしかった。「おまえが心砕いてくれたおかげで、ようやっと感じがつかめた。もう、どこの場所でも、同じように心をたぐり寄せることができるはずだ。おまえはよいところに家を建てたものだ。ここに家がなければ、わたしは幾晩も野宿をするはめになっていただろうな」
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