闇き乙女

第三章

変革

 青星が手綱をゆるめるやいなや、桃生は転がるようにして馬から降りた。
(うう、気持ち悪い……)頭はくらくら、足もとはふらふらとしておぼつかない。夏の強い日差しにもやられてしまったようで、体温が上がっている。太陽はだいぶ傾いていたものの、それでもまだ射すようにじりじりと照りつけていた。
 平地にぽつんと一つ、住居がたたずんでいた。煮えるような暑さのなかでも静謐さを失わず、どことなく厳かな雰囲気のただよう建物だった。桃生が日差しから逃れようとして飛びこむと、さらに厳粛さのただよう印色があらわれた。
「遅かったな」
 身なりをきちんと整えた印色は、兵を差し向けられた人のようには見えなかった。もっとも、あの日から十日あまりが過ぎているので、襲われたときのままの姿でいるというのはおかしいのだが。そうとわかっていても、桃生は変わりのない印色に違和感を感じた。彼女自身がだいぶ変わってしまったせいかもしれない。
「桃生が怪我をしたので、動きがとれるようになるまで時間がかかりました」青星が馬をひいてやって来た。
「そうか」
「明吉良はどこにいますか?」桃生がとうとつにたずねた。
 その声音に以前のような敵意がないのを発見して、印色はいぶかしんだ。「裏の庭に。大鷹と共にいる」
「わたし、そちらに行ってもいいでしょうか」
「かまわん。好きなようにしなさい」
 桃生はぱたぱたと足音をさせて去っていった。その後ろ姿が見えなくなってから、印色は青星をふり返った。
「桃生は──闇き姫は、一体、どうしたのだ」
「日継ぎの御子に刺されたこと、堪えているのかもしれない」
 青星はひとりごとのようにつぶやいたが、印色はそれを聞き逃さなかった。
「なんだと。どういうことだ」
「刺されたんです、桃生は。あの夜、あたしが駆けつけるより、日継ぎの御子のほうが早く来ていて。あいつは桃生を殺すつもりのようでした」
「そういう肝心なことは、はじめに言いなさい」印色はややいらだって言った。「それで、桃生の傷の具合はどうなのだ。完全に癒えたのか」
「跡が残りそう。でも、それ以外は平気です」
「わかった。それで、今日までのあいだ、おまえたちはどこにいたのだ」
 とたんに青星が黙りこんだ。そのようすから、印色はあたりをつけた。「速津のところか」
 青星は見るからに仏頂面になった。しかし、彼女がこういう顔をするのは非常にまれなので、不快感よりもめずらしさが先に立つ。印色はやんわりと念を押した。「桃生の手当をしたのは速津なのだな」
 青星は否定しなかったが肯定もせず、避けるように話題を切り替えた。
「日継ぎの御子が桃生を刺したことですが、ちょっと気になるんです。なんだか妙なの」
「天つ神にとって、離反するさだめをもつ闇き者は、内から腐っていく穢れの存在。亡き者にしようとすることなど、おかしくもなんともない」
「それはわかってます。そうじゃなくて、やり方が──刺しかたが変だったの」青星は、そのときの桃生と帯壬の位置関係を説明した。「日継ぎの御子は桃生を抱いていたんです。それなのに、わざわざやりにくい脇腹を刺している。うなじを突くほうが、ずっとやりやすかったし、絶命させられる可能性も高いのに」
「ためらったのだろう──と言いたいところだが、天つ神にそんな情けは存在しない。確かに妙だ」
「なにか裏があるんでしょうか」
「どうだろうな」印色はあごに手を当てた。「天つ神が意識して策を弄することはない。そうする必要がないのだ。彼らは、行動したすべてが良い結果になるように運命づけられている。いや、運命というよりも、能力を備えているというべきだろうな。たとえば、道が複数に分かれていたとき、どの道がもっとも適当か──彼らには直感的にわかる。思考はしていない。ただ、『わかる』のだ。そんなものだからこそ、隠された真意を探るのはとても難しい」
「桃生は? 天つ神のあの娘なら、わかるんじゃないかしら」
「桃生はおそらく考えるのを拒絶するだろう」走り去っていった桃生の背中を思い出して、印色が言った。
「もっとも、考えてみようとしたところで、桃生にわかるはずはないが。桃生と帯壬では、能力に差異がありすぎる。長老は桃生に望みをかけておいでだが──どこまで使えるようになるものかな」
 印色の冷めた発言に、青星は驚いた。「親父様は、桃生の力に期待していないの?」
 印色はあいまいに首を横にふり、口調を切り替えて聞いた。
「他に、何か変わったことはあったか」
 青星は一瞬ためらってから、あたりを見回した。そして後ろめたいことでもあるかのように、ひそめた声で印色に耳打ちした。
「桃生は、明吉良が好きなんだって。体内に宿る大蛇の神のせいで、明吉良が天つ神に惹かれるのは当然だけど、その逆──天つ神が国つ者を好きになることって、あり得るの?」
「ああ。天つ神のほうでも、力の強い者ならば好きになる」

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