闇き乙女

第三章

変革

 大鷹が予想したとおり、澄みきった青空が一面に広がった。明吉良と大鷹が裏口で待っていると、ほどなくして桃生──と、もう一人──があらわれた。
「見つかっちゃった」桃生は笑ってごまかした。「でも、お許しは出たから」
 青星は桃生の守り役らしく、しっかりと務めをまっとうしているようだった。「桃生を行かせる代わりに、あたしもついていきます。よろしく」
「おお、連れが増えた」大鷹はうれしそうだった。反応がいくらか間違っていないかと思う桃生だったが、一行はそのまま仲良く出発した。
 山登りをするというのに、桃生は普段どおりにふわふわする裳を履いてきていた。忍んで出てきたために、取り替えることができなかったのだ。桃生自身はそうでもなかったのだが(彼女は、この服装で賊から逃げたりしていたのだ。すっかり慣れっこになっている)、先頭の大鷹は気づかってゆっくりとした歩調で進んでいった。
 昨日にくらべて、日差しの強さはそれほどでもなかった。時たま、涼しい風も吹きぬけていく。足を調子よく運ぶように会話がはずんだ。大鷹が気さくに話しかけるので、無口な青星もいつもより多くしゃべった。鍛錬というには、あまりにのどかすぎる光景で──というより、まるで鍛錬にはなっていないのが実際だった。
「えっ。大鷹殿と印色殿は同年なのですか」
「そんなに意外かね?」
 大鷹がふしぎそうに聞き返したので、桃生はあいまいににごした。本当のことはとても言えなかった。大鷹のほうが十くらいは印色より上だろうと、桃生は思っていたのだ。
「わしとやつが初めて互いに顔をつき合わせたのは──もう二十年は前になるか。若かったのだぞ。まだ、おぬしらと同じような年頃だった」ふたりともまだ四十路を過ぎていないと聞き、桃生はまた驚きの声をあげそうになったが、かろうじて抑えた。「懐かしいのう。あの頃の印色はとんだつっぱり者でなあ、宮中でその名を知らぬ者はいないくらい目立っておった」
「あの親父様がつっぱる?」
「宮中ですって? 出入りをなさっていたの」
 青星と桃生の声はほとんど同時だった。それとしばらく遅れて、明吉良がのんびりとたずねた。「印色とは誰だったろうか」
「青星の父上よ。そんなことも覚えていられないの」話のこしを折られて、桃生は少しいらだった。
 しょげる明吉良を見て、大鷹は笑みをもらしながら、まず桃生の問いかけに答えた。「あの頃のわしは、あるおかたに従事しておった。天つ神の血をひいておられて、桃生姫、おそらくはおぬしの伯母にあたるのではないかと思う。そのおかたが住まう宮へ、わしは足繁く通っておったのだ。恋仲だったわけではないぞ。国つ神の血をひく者は、天つ者に従う期間を過ごす必要があるのだ。そうすると、血の呪縛からいくらかは自由になれる。わしらはこれを『清め』と呼んでおる──そして、そのおり、わしは印色と出会ったのだ」大鷹はしみじみとした口調になった。「わしがそのおかたを訪ねていたときだ。たまたま印色がふらっとやって来た。そこで初めて口を聞いたのだ」
「若い頃の親父様というのは、どんな感じ?」さすがに興味があるのか、青星の声はいつもほど淡白ではなかった。
 大鷹はあごひげをなでると、びっくりするようなことを言った。
「たいてい、酔っぱらっていたなあ」
(あの印色殿が……?)なんだかとても考えられない、想像すらできないような気がして、桃生は首をひねった。青星はそれ以上の気持ちのようで、表情がそのまま固まってしまっている。
「素面だと怒鳴り散らすばかりだったから、酔っていたほうが良かったな。酔っているときの印色は、誰彼かまわずつかまえて議論をふっかけるのだ。やつの話はなかなかおもしろかった。天つ神は間違っている、皇は進路を変えるべきだとか、そういったことを宮中ではばかりもなく言ったのだ──ろれつが回っていなかったが。わしはやつに興味を持ち、国つ神々のところへ戻るとき、ともに来ないかと誘った。やつは受け入れ、そうして今ここに至っているわけさ」
「そんなこと、あたしは初めて聞きました」青星はやっと衝撃から立ち直って、まばたきできるようになった。
「印色は、若いときのおのれを嫌っている。未熟さを恥じているのだろうな」
 ぐでんぐでんに酔っぱらって人にくだを巻いていた過去など、恥じてしかるべきだろうと桃生は思った。
「宮中にいたということは、印色殿は貴人だったのですか?」
「ああ。国つ神の血のもとに集まった者がほとんどだが、中には天つ神の末裔ながら協力をする変わり種もおるよ」
「そうですか──」
 彼らの目的は、遙か古の豊葦原を取り戻すことだ。天つ神が統治をはじめる以前の、まだ混沌のなかにあった豊葦原。あまりに大昔のことであり、そのときの豊葦原がどういったものだったのか、桃生には想像すらできなかった。しかし──今の豊葦原をつくりあげた人々自身が懐かしむほど、それはすばらしいものだったのだろうか。だったら、歴代の皇がしてきたことは、自分の祖先がしてきたことは何だったのだろうと、桃生は空虚な気持ちになった。

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