だが、陰鬱な気分はたいして長続きしなかった。こんもりと茂った森は奥行きのある深緑で、水蒸気を含んで湿っぽい。蒸しているのだが、同時にみずみずしくもあり、空気を吸いこむたび、それが体内に入ってくる。木漏れ日はまだらの光の模様をつくりだして美しい。
そのうえに、桃生は一人きりではなかった。おもしろい話をしてくれる大鷹がいて、やたらと沈着な青星がいて、となりでは明吉良がにこにこと笑っている。この状況下でふさぎこむ芸当は、桃生にはできなかった。
「ねえ、青星。あなたが背負っている、その包みはなあに?」途中、桃生が青星の後ろになったとき、桃生がふと気づいてたずねた。
「弓矢。山に行くって言ったら、屋敷の人たちに獲物を捕ってきてと頼まれたのよ」
「捕るの? 青星が?」
桃生が目を丸くしたのとは反対に、青星の態度は平坦だった。「別に、だれが捕ったってかまわないんだけど」
青星の腕前は見事なものだった。彼女が弓をひくと、小さく鋭い音とともに、矢は空気を裂いて飛んでいく。あっという間に獲物の山が築かれたが、大鷹がいるので持ち運びには困らなかった。
桃生は青星のそばで、ずっと歓声をあげていた。青星は狙えば決してはずさないので、小気味がよいといったらなかった。「すごいのねえ。わたしにも出来るかな」
「弓、やったことない?」
「うん。いつも見ているだけだったの。やるのは男御子だけ。それでも一度だけ、皆がいいと言うからやってみようとしたことがあったのだけれど、乳母にはしたないと怒られたのよね」その乳母というのは、もちろん和可女である。
「じゃあ、やってみる? 貸してあげるわよ」
「ほんとう?」桃生は目を輝かせた。「あ、でも、こんな格好だと駄目かしら」
「袖口がちょっと危ないかな。だけど、紐で縛れば大丈夫」
青星は紐を取りだし、桃生の大きく広がっている袖を手首にぐるぐると巻きつけた。そして、さらに自分の籠手をはずして、桃生の腕をおおうように取りつけた。
桃生は意気揚々と弓をかまえたが、弦を二,三度引っぱって顔をしかめた。
「これ、ちょっと……弦が強すぎるみたい」
「桃生姫。腕の力ではなく、肩で引くのだ」
大鷹が言い、桃生はそのとおりに試みたものの、やはり弦は引いてもすぐに戻ってしまう。
「どれ、貸してみなさい」大鷹が弓を調べてみると、なるほど弦が強かった。桃生の細腕では引けないはずである。大鷹はだいぶ弦をゆるめたが、それでも桃生は引くべきところまで引けず、弦ははね返った。
「もっと鍛えなきゃだめね。弓を引きたいんだったら、それからよ」
とうとう青星がやめさせた。桃生は負け惜しみか、胸をぐいと反らした。
「まあ、わたし、
「──手弱女って、塀をよじ登ったりしないんじゃない?」
どうやら、桃生は、塀を登って抜けだそうとしているところを、青星につかまったようだ。
「か弱ければ、みんな手弱女なのよ」
「自力で塀を登れる女のどこがか弱いの。だいたい、手弱女というのは、しなやかだったり優しかったりする女のことで、か弱い女とは違うわよ」
「あ──あら、そうだっけ?」桃生は一瞬うろたえたものの、すぐに気をとりなおした。「でも、わたしがか弱いというのは事実でしょう。だって、弓が引けないもの」
「それって、威張れること?」青星は疑わしげに聞いてから、きっちりとつけ加えた。「桃生はか弱いんじゃなくて、きっと力の入れ方が変なのよ」
←戻
│
↑この頁のトップへ
│
進→
[登場人物&用語集]
| 広告 | 花 | 無料レンタルサーバー ブログ blog | |