闇き乙女

第三章

変革

 弓矢がなくなると、明吉良が桃生のとなりに戻ってきた。桃生が青星の矢に興味をしめしたとたん、明吉良はすばやく非難してしまった。大鷹に日々しごかれているせいで、弓箭には拒否反応があるらしい。
「そんなに嫌いなの?」
 明吉良はうなずくと、桃生の手をにぎって歩きはじめた。先頭を行く大鷹よりも足運びがやや速い。明吉良はそれまで、どちらかといえばたらたら歩いていたのに、おかしなことだった。おまけに黙りっぱなしで、くちびるを真横に結んだ表情は気むずかしげ。桃生は手を引かれて歩きながら、あきれた声でたずねた。
「何をすねているのよ」
「すねてなんかいないよ」
「あっそう。じゃあ、手を放して」
 しかし、明吉良は手を放さなかったし、すなおに白状もしなかった。桃生はいらだちをつのらせたが、爆発する前にあることに気がついた。青星が近づいてくると、明吉良はなぜか歩調を速める。桃生は何回か、わざと青星に接近してみたが、いずれも明吉良によって引き戻された。
「明吉良は、青星のことが嫌いなの」桃生はたずねてみた。「青星の反応はつまらないし、言うことは的を射すぎていて癪にさわるわ。何でもできるところがこれまた鼻につくけれど、とくべつ悪意があるわけではないのよ。ただ、速津姫の前だと嫌味ばかり言うのがね──あれは感じが悪かったわ。しかも、怒るとすっごく恐いし」青星のことをかばうつもりが、むしろ悪口を言っているのに気づき、桃生はあわてて口をつぐんだ。ちらりと青星をうかがったが、さいわい聞こえていなかったようだ。
 明吉良がくぐもった声で言った。「青星がいると、つまらないよ」
「どうして」桃生は問いかけながらも、心の中では同意をしめしていた。青星の前だと、いろいろと制約がある。今日の同行もそうであり、いないほうが気分的に楽なのは確かだった。
「だって──」
「だって、何なの?」
 明吉良はもごもごと口ごもった。「桃生は青星と話してばかりいる。だから」
 桃生は目をぱちくりさせた。言われたことが何を意味するのか、よくわからなかったのだ──しかし、徐々に飲みこめてくると、次第に笑みが広がっていった。「馬鹿ね」
 桃生はまんざらでもなく、それ以上はあえて何も言わなかった。嫉妬されるのは初めてであり、なかなか有益な体験だった。数日間、そのままにして楽しんだが……のんきにしていられるような状況ではなかったのだ。
 明吉良と青星の関係は、太陽が進むごとに悪化していった。青星ははじめ、明吉良を変なやつと決めこんで、歯牙にもかけていなかった。ところが、会うたびに嫌悪感まるだしの対応をされるので、さすがに腹に据えかねたもようだった。明吉良も思いこんだら突っ走る質なので、桃生のまわりにはいつでも険悪な雰囲気が渦巻いていた。
 桃生がまずかったことに気づいたときには、すでに手遅れだった。記憶の薄れかける頃でもあり、明吉良のほうはすんなりと解消できたのだが、やっかいなのは青星だった。桃生が何と言いつくろっても、耳を貸さなかった。青星のなかで、明吉良はとうに速津姫に次ぐ第二の仇敵と見なされていたのだ。あんがい、根のしつこい青星だった。
 嫌われているのに好意をもつことなどできないものである。一度は納得したはずの明吉良も、青星がふたたび嫌いになった。明吉良が桃生に会いに来ても、青星はすぐには追いはらわないが、しっかりとにらみを利かせており、明吉良が桃生に触れようものならたちどころにその手をはたくのだ。
(遊ぶんじゃなかった……)
 ぴりぴりした空気の漂うなか、桃生はあらためて後悔した。人の気持ちをもてあそんではならなかったのだ。食事時でも彼らの戦いは続くので──そして、二人はいつも桃生の食事に同席するので──ご飯がまずいといったらなかった。種をまいたのは桃生自身だったから、よそでやってくれと言うこともできない。
 桃生は沈鬱に膳をつついていたが、漬け物には箸をつける気になれなかった。「ごちそうさま」
 漬け物をまるまる残して箸を置くと、縁側に座っている明吉良がふり向いた。桃生のとなりにいると青星が何かとうるさくするのだと気づいてから、明吉良はそこを定位置に決めていた。明吉良は手持ちぶさたなとき、庭にやってくる小鳥などに餌をまいており、このときもそうしていた。
「いらないのだったら、それ、鳥にあげてもいい?」
「どうぞ。でも、漬け物なんて食べるかしら。お腹をこわしそう」
「食べられないものだったら、食べないと思うよ。たぶん平気」明吉良は無責任に言った。
「きっと、そうね」鳥が漬け物を食べるのかどうか試してみたい気もする。桃生は同調した。
 瓜の漬け物だった。明吉良が一つつまんでほうり投げると、小鳥たちはわっと寄ってきて、小さなくちばしで汁気のある実体をつついた。
「あ、食べている」
「ほんとうだわ。鳥って、漬け物も食べるんだ」
 青星も顔を出して、興味深げにその光景に見入った。「生の瓜なら食べているのを見たことあったけど──」
「梅干しはどうかしら。食べると思う?」
「青梅は食べるよね」
 年配の侍女がいい加減になさいとたしなめようとしたときだった。漬け物をつついていた小鳥たちが、端からばたばたと倒れはじめた。
「やだ。どうしよう──」
「おかしいわ。お腹をこわしたんだったら、倒れるのはもっと後のはずよ」青星の指摘を聞いて、桃生はよりいっそう青ざめた。それはすなわち、料理に毒が入っていたということだ。
 とたんに全身に寒気が走り、胸に何かがこみ上げてくるようだった。桃生はよろめいて倒れ、それを明吉良が抱きとめた。さすがにこのときばかりは、青星は邪魔をしなかった。
「親父様を呼んでくる」しかし、そうするまでもなかった。部屋を出るとすぐのところに印色がいて、まるで待っていたようだった。けれども、動転していた青星はそこまで気が回らず、せかして部屋に入れた。
 印色は桃生の膳をざっと見回して、それから蒼白になって横たわる桃生に目をやった。「毒が入っていたのは漬け物だけだ。そなたはそれを口にしていないのだろう。悪くなるところがあるはずもない。何を遊んでいる」
 桃生は絶句したが、印色の言うとおりだった。体は何ともなっていない。鳥たちが倒れたので、自分もてっきりそうなるのだと早合点してしまったのだ。
 桃生が顔を赤くして起きあがると同時に、青星がいぶかしげな声で聞いた。
「親父様はたいして調べてもいないのに、なんで漬け物にしか毒が入っていないとわかったのですか」
「このわたしがそうするようにと、指示を出したからだ」
 だれもがあぜんとなった。桃生もぽかんと口を開けていたが、やがて怒りがこみ上げて体中が熱くなった。「いったい、どういう了見なのですか。わたしに毒を盛るなんて。あなたたちはわたしの存在を必要として、ここに招いたのではなかったのですか」
「わたしはそなたを殺すためにさせたのではない。これは訓練なのだ」
「訓練?」
「そなたは稀少で、危険だ。宮廷の者たちは隙さえあれば、そなたを亡き者にしようと企んでいる。間者を送りこみ、その食事に毒を入れることがあるかもしれない。毒殺は彼らの十八番だ。見分けられるようになっておいたほうがいい」
 もっともに聞こえる話だったが、根本が間違っていた。
「そんなもの、見分けがつくはずがないでしょう。ぱっと見てわかるように毒を盛るわけがないのだから。訓練をしたいなら、見分ける方法を教えてからにするのが順序というものです」
「毒の種類は幾千とあり、これからも開発されていく。そのすべてをそなたが覚えきれるとは思えない。それよりは直感力を養うべきだ」
「直感力って、なに?」明吉良が侍女のひとりに小声でたずねた。
「感覚で、すばやくとらえるもののことですわ。勘、とも申しましょうか」
「そんなあやふやなものに頼れないわ。冗談じゃないわよ」桃生は怒鳴ったが、印色は相手にせず背を向けた。
「これから毎日、そなたの食事には何かしら入れておく。一食につき一皿は、危険なものが混じっていると考えておけ」

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