闇き乙女

第四章

大蛇

 印色と大鷹は、九十九老人に呼ばれて、屋敷の離れに来ていた。
「この度のお申し出、引き受けましょう」
 二人が座に着くと、間もなくして老人は言った。
「正直に申して、こうしていいのかどうか迷っております。桃生姫は力の弱いうえ、幼い。にも関わらず、わしは賭してみたいのです。彼女ならば、先を開いてゆけそうに思える。この、心に光を差しこむような誘惑こそが、天つ神の力だとわかってはおるのだが──」
 召使いが部屋にあらわれ、九十九老人はことばを止めた。急いたようすで、主人になにやら耳打ちした。
「どうかなされましたか」
 印色がたずねると、九十九老人は詫びて、従者とともに廊へ出た。そこで、会話をつづけている。
「うまくいったな」
 大鷹はうれしそうに言ってから、思い出したように印色のほうを向いた。
「そういえば、おぬし。桃生姫と何かあったのか」
「何も」印色は前を向いたまま答えた。
「それならば、なにゆえ姫は、朝餉が終わるや否や、屋敷を飛び出していったのだ?」
「知らん」
 大鷹が問いつめようとしたとき、九十九老人が戻ってきた。顔が青ざめている。
「日継ぎの御子がいらっしゃった」老人は、渇ききった喉から、無理やり言葉を押し出した。
 大鷹は驚きのあまり、あんぐりと大口を開けた。印色もまた、動揺を隠せなかった。
「帯壬が? 一体、どうして──」
「使用人に言われるには、狩りの最中に迷われたとのことだ。まさか、門前払いをするわけにはゆかぬ。どうすればよいのだ」
「お通ししてください」印色はうながした。「幸い、桃生たちは出かけております。わたしどもは、どこかの一室に身を隠しておりましょう」
 九十九老人は衝撃から立ち直っていなかったが、御子を迎えるために走っていった。
 印色は召使いを呼び寄せて、桃生たちにこのことを知らせてくるようにと言いつけた。そして、二人は足音を忍ばせつつ、離れを後にした。隠れていると言ったのは建前に過ぎない。騒がしいほうへと進んでいくと、聞き覚えのある声が印色の耳に届いた。
「ええ、鹿狩りに興じていたのですがね、道に迷ってしまって。あまり熱中しすぎるのもいけませんね」
 姿は見えないが、声の主のくつろいでいるようすが目に浮かぶようだ。印色は足を止めた。
「それで、ご収穫のほどは?」九十九老人は平静を装おうとしていたが、やはり声がうわずっている。
「連れが不甲斐ないもので、全然ですよ」
 すると、誰かが咳払いをした。
「ここぞというときに損じられたのは、すべて帯壬様でございましたが」
「……伊志治いしじ。主人の顔を立ててくれてもいいじゃないか」
 大鷹は怪訝そうに太い眉をしかめた。
「偽物ではないのか? 気配が違うぞ」
「間違いなく本物だ。だからこそ、われらの居場所も嗅ぎつけられた」
「では、道に迷ったというのは嘘なのか」
「当たり前だろう。なにが鹿狩りだ。鹿など、この近隣にはおらぬ」
 大鷹がうなった。「目的は何であろうな? このような回りくどいことをして──」
「さあな。あやつの考えることは、わたしには理解できん」
「やはり、桃生姫を狙っておるのだろう?」
 二人は部屋のほうへと意識を戻した。
「何が理由にしろ、天つ御子においでいただけるとは光栄ですな」
「迷惑をかけました。突然の訪問、さぞや貴殿の心臓に悪かったでしょう」老人の本心を見抜き、帯壬は忍び笑いを漏らしている。
「我々は招かれざる客ですから、長居をして九十九殿をわずらわせるつもりはありません。ただ、道案内を一人、貸していただきたいのです」
「お安い御用です」帯壬がすぐ帰るとわかって、老人は傍目にもほっとしていた。
 印色は眉をひそめ、腕を組んだ。
「あいつが、何もせずに帰るとは思えん」
「ひと騒ぎ、起こるかのお」やや期待のこもった口調で、大鷹がつぶやいた。

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