九十九との協定はご破算になった。帯壬の真意はわからなくとも、その出現は脅威を感じさせた。桃生たちは早々に荷物をまとめて帰路についた。
もう見慣れたといっていい風景が広がり、館の門が見えてくる。門の前には迎えの人々が並んでいた。その中に、あらぬ人影を見つけ、桃生は思わず叫びそうになり、それを咳きこむことでごまかした。
(どうして母様が、ここに……)
威厳をただし、まほろばで見ていたときと変わらない厳格な立ち姿だった。普段どおりの凛々しい表情からは、桃生の存在に気づいているのかはさだかではない。桃生は、上体を低くかがめ、氷室の目に付きにくそうな位置で馬から降りた。印色に指示を仰ぐつもりで、その場から離れようとしたとき──
「婆さま。お久しいです」
青星の声である。桃生はのけ反った。明吉良が受け止めなければ、顔から地面へ突っこんでいただろう。
桃生の顔を覗きこみながら、明吉良がたずねる。「大丈夫?」
「わたし、もう駄目。立ち直れないわ……」
「なにが、立ち直れないのです?」
今度は未遂に終わらず、桃生は思いきり叫び声をあげていた。
「なぜ、そんなに驚く必要があるのですか」氷室がじろりと睨んだ。
「も、申し訳ありません。つい」
桃生は縮み上がった。それは桃生が謀反の決意を固めたからではなく、母を目にしたときはいつも、そんな衝動に駆られるのだ。
その横で、青星がひとり、けげんそうな顔をしていた。彼女はやはり、知らなかったのだ。「二人とも、知り合い?」
「ぼく、知っている。この方は、桃生の母上だよ」明吉良がしたり顔で答えた。
(必要のないときにかぎって、覚えているんだから)
桃生は苦々しそうに顔をしかめた。一方、青星は、彼女らしくない呆けた顔で、何度もまばたきを繰り返した。
「だって、婆さまは親父さまの──」
「印色殿に説明してもらいなさいよ」
母だけでも厄介なのに、青星の面倒まで見るのはまっぴらだ。桃生はあたりを見回して印色を探したが、その姿はどこにもなかった。
(逃げたわね)印色は、氷室の存在に気づかず、先に行ってしまっただけかもしれない。印色が逃げたと決めつける根拠は何もなかった。にも関わらず、そう考えた理由は、彼女自身が逃げ出せるものなら逃げだしたいと考えているからだった。
桃生はしぶしぶながら、氷室と桃生が親子であること、つまり彼女と印色は兄妹であることを、青星に告げた。青星は、切れ長の目を大きく見開くだけで、何一つ言うことができなかった。桃生はそんな彼女に同情を覚え、素っ気ない態度をあらためて優しく微笑みかけた。
「まあ無理もないわ。わたしだって、この間まで知らなかったもの」
すると、隣で聞いていた氷室が顔をしかめた。
「知らなかったの? あきれたこと」
「教えられてもいないのに、わかるはずがありません」
「だれに教えられずとも、自然に悟るものでしょう。家族なんて」
それはそうだが、桃生はこの事件が起こるまで、印色の存在はおろか、帯壬のほかに兄がいることさえ知らなかったのだ。
(あいかわらず、無茶なことしか言わないんだから……)
母の教育方針には慣れっことはいえ、あきれを隠せない。しかし青星は、氷室のことばを心に刻みつけるように、硬い表情でうなずいている。桃生は、青星の将来に、あらためて危惧を感じた。
ところで、青星とは対照的に、明吉良にはまるで驚いたようすがなかった。この二人は対照的なのが当たり前だが、さすがに怪しい感じがして、印色を捜しながら桃生はたずねた。
「明吉良は知っていたの? わたしたちが兄妹だってこと」
「うん。二人とも、同じ血の匂いがする」
(何よ、それ……)さっぱり意味不明だったが、大まじめに答えているらしい明吉良を相手に問いただす気にはなれなかった。どうせ、訳のわからない説明が返ってくるに決まっている。
印色は、このやしきの主と話し込んでいるところを、氷室に捕らえられた。印色は少々うろたえており、桃生の「印色は逃げた」疑惑はあながち間違いではなかったと言える。
「なぜ、ここが……というのは愚問でしょうな。代わりに、何をしに来られたのかお聞きしますよ」
「わたくしの知らない間に、ずいぶん物事が進んでいるようね」氷室は微笑を浮かべた。その凍りつくような冷たさに、桃生は思わず身震いした。
「聞きたいことはたくさんあります。まずは、大蛇のことを話しましょうか」
「わたしは、大蛇の力に手を出すつもりはありませんよ。使えないことはわかりきっていますし」印色はきっぱりと言った。「桃生はともかく、明吉良がここにいるのは手違いです。単なる成り行きです。わたしから望んだわけではない」
強く否定する印色のことばを、桃生は残念がった。もったいないと思うのだ。山賊を蹴散らしたときの圧倒的な力は、恐ろしくはあるがすばらしいものだった。
「どうするにせよ、守部を側に置くかぎり、大蛇の剣も持たねばなりません。この二つは、遠く離してはならないものなのです」
「その剣は、今どこにあるの?」桃生は、明吉良が剣を持つことは知っていたが、思い返してみれば、実際には一度も目にしたことがないのだった。
視線が明吉良に集中したが、彼は首をかしげるだけだった。果ては、「そんな剣があったっけ?」と言い出す始末である。
印色は、あきらめたように額を押さえた。「おそらく、おまえたちをかどわかしたときのまま、沙流王が持っているのだろう。違いますか、母上」
「その通り。剣と守部、この二つが離ればなれになることは、本来あってはならないことです。ましてや、明吉良の声の戒めが解かれた今となっては」
桃生は隣に座る青星をつつき、小さくたずねた。「所詮は剣でしょう。なにがそんなにまずいの?」
「守部以外の者が剣に触れると、大蛇の炎で骨まで解かされるらしいよ。明吉良のやつ、とんでもなく邪魔な場所に、剣をほっぽってきたんじゃないの」
「どこに置いてきたのかしらねえ」
「廊下の真ん中とか」
「それは邪魔だわ」少女ふたりはうなずきあった。
「印色。早急に引き取りにおゆき」
「しかし、沙流王には何と説明すれば。あの方はまだ、わたしに闇き者がまかされたということをご存じないはず──」
「おまえが任じられてから、どれだけの日数が経ったと思うのです。それに、最近ではあれだけ目立つ振る舞いをしておいて……。気づかないほうがどうかしていますよ」
「ですが。闇き者と守部だけではなく、大蛇の剣までも、わたしの手中に収めさせるなど、沙流王は許しますまい」
言い訳を重ねる印色に、氷室はしびれを切らした。「大蛇の剣は、危険です。ほかの誰よりも、沙流王自身が取りに来てほしいと言っておいでです。わかっているでしょう。先程から、どうしてそんな愚かなことばかり言うの」
氷室に怒られ、印色は仕方なさそうに、剣を取りに行くことを約束した。
(もしかして印色殿、沙流王が困っているのを知って、あえて彼のやしきに置きっぱなしにしていたのでは……)ふと、そんな考えが桃生の頭をよぎる。
「印色──おまえは、帯壬を討つつもり?」
何の前触れもなく、静かな口調で、氷室がたずねた。印色も、落ち着いて答える。「ええ」
「そう、好きになさい。子供ではないのだから、母はもう干渉しないわ」
(自分の子が殺し合いをしようというのに、それだけなの?)桃生は胸がしめつけられた。
「その代わり、わたくしも好きにするわ。丹の国へ、帰ります」
全員そろって目を見張った。氷室のふるさとの名など、とうてい知らないであろう明吉良までも、雰囲気から察して驚きの表情を浮かべている。
「なぜ、なぜですか。まほろばになにかご不満でも……」言いかけて、桃生はやめた。氷室の不満は、それこそ積もるほどあるに違いないからだ。
「父上には、このことを告げられたのですか?」
印色がたずねると、氷室は目をそらした。
「帯壬に言いました。それで伝わるでしょう」
「でも、婆さまは」青星が言った。「──国を裏切って、まほろばへ行ってしまった方なのに──戻るなんて、できるのですか。許されるのですか?」
桃生は、はっとした。母もまた、速津姫と同じ素性を持っていたのだと、初めて気づかされる。(母様……そうだったの)
が、氷室は桃生に痛ましがられるほど、おしとやかではなかった。
「そんなことは知らないわ。わたくしが戻りたいと思うから戻るだけよ」
氷室は強気に言ってのけ、桃生は一瞬のうちに熱から冷めた。
(わが母ながら、なんて人……)しかし、氷室のこの性格は、彼女の子供全員に遺伝している。本人達は無自覚だったが。桃生と印色は席を隔てながら、「青星に、これ以上の悪影響を与えないでくれ」と祈っていた。
一方、青星の瞳は、不安と期待で揺れていた。彼女がぽつりとつぶやくのを、桃生は確かに聞いた。「つ──速津」
「さて、と」氷室は立ち上がった。その姿に、今度は何が起こるのかと、心配そうな視線が集まる。「桃生、いらっしゃい。おまえには別に話があります」
「はい、母様」
桃生は従順にうなずきながらも、明吉良と青星の腕を強くつかんだ。いかな獅子が相手でも、大勢ならば──というわけである。だが、氷室は言った。
「一人で来なさい。ほかの者は、ついてきては駄目よ」
桃生は奈落に突き落とされた心持ちで、手を離した。そして頭を垂れ、氷室がさっそうと歩く後にしたがう。
←戻
│
↑この頁のトップへ
│
進→
[登場人物&用語集]
| 広告 | 花 | 無料レンタルサーバー ブログ blog | |