二人は庭を歩いていた。手入れをされない庭は、草がぼうぼうに伸び、小枝がよく衣のすそをからめとる。氷室はそれでも軽やかに進んでいくが、桃生のほうは慎重に歩かねばらなかった。
「おまえは、国つの神の側につくことにしたのね」
桃生はあいまいにうなずいた。どちらにつくも何も、もう少しで殺されるところだったのだ。今さら、なにを選べるのだろう──と思いながら。
「もし、帯壬が戻ってくるように言ったら、どうします?」
「そんなこと、あり得ません」帯壬が実際にそう言っているとは露とも考えず、桃生は答えた。
「それでも、そう言ったら?」
桃生は、脇腹にそっと手をやった。「きっと……帰りません。だって、あの人は、わたしを殺そうとした」
氷室は、桃生の表情ひとつひとつを、吟味するように見つめていた。
「──おまえにはね、弟がいたのよ」
桃生はぽかんと口を開けた。隠された──いや、まわりは隠しているつもりはなかったようだが──兄だけでなく、弟までいたとは。この調子で行くと、どんどん家族が増えていくのではないかと、桃生は一抹の不安を感じた。
「これは、知らなくても無理ありません。生まれて、たった一日で死んでしまったから」氷室がまぶたを伏せた。そして息を吸いこみ、一気に言った。「あの子は闇き者でした。おまえと同じ。でもおまえとは違って、その印がはっきりとあらわれていたの。産まれてすぐ取り上げられて、殺されてしまった。戸籍にも記録が載っていないわ」
氷室は顔を上げ、その冷たい目が、桃生の瞳をとらえた。
「まほろばは、そういうところよ。そして、やがては皇となる帯壬も、そういう人間なのです」
呼吸を乱さないようにつとめながら、桃生はうなずいた。息が苦しい。
「それをわかっていながら……なぜ、わたくしは数十年も、あの場所にいたのかしらね」自嘲しているというより、自分に問いかけているような口調だった。
桃生は目を閉じて、滅多に会うことのなかった父の顔を、まぶたの裏に思い浮かべた。広い額、賢げな光を宿す目。中角をほんの少し厳つくして、年を取らせたような感じだった。そのくせ、笑いかたは帯壬とまったく同じ。瞳をいたずらっぽく輝かせ、口もとには笑いじわができる。
(母様は無理強いされて、受け入れるような方ではない。父様をお好きだったからこそ一緒になられたはず。でも、母様はいま、父様を捨てて、去ろうとされている。なぜだろう……)父を嫌いになってしまったということなのか。それとも、愛してはいるが、その振る舞いに我慢できなくなったということなのか。
氷室はその理由を語らない。しかし、その代わりのように、桃生に言い聞かせた。
「もし、帯壬がなにか言ってきたら……いいえ、帯壬でなくとも、誰かがおまえの心を揺さぶることを言ってきたそのときは──」氷室の瞳は、静かだった。でも、その静けさの中で、炎が燃えているような気がした。熱が強すぎて、かえって青く輝く炎のように。「自分でよく考えて、決めなさい。後悔しないために。もし、後悔しても、ほかの人を責めないために」
氷室のことばに、桃生は生まれて初めて、心から素直にうなずいた。
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