闇き乙女

第四章

大蛇

 若い二人は祭りのにぎわいへと去っていった。来るときとは打って変わって陽気な背中を見送りつつ、長老は小さなため息をもらした。
「気がかりなことでも? 桃生は無事に戻ってきたではありませんか」
「あの子は御霊を拒んだ」
「なにを言われます」印色はあっけにとられた。「闇き者であっても、天つ神と同じです。御霊を受け入れることはしません。自然を嫌うのが天つ血、そして闇き者は天つ神なのです。長老もおっしゃったばかりでしょう、桃生は歴代の闇き者たちと変わらぬ道を選んだ、と」
「そう、これまでと同じじゃ。なにも変わらぬ」輝きの薄らいだ瞳で、長老は虚空を見つめた。「天つ神に従い、尽くして死ぬ。どうあがいても、所詮、それがわれらの運命じゃ。闇き者がおっても、まるで救いにはならぬ。むしろ、わしらはますます絡めとられ、天つ神にはまりこんでいくようじゃ。天つ神とはよくよく悪知恵が働くのう。なぜ、これほどまでに悪しきものが、この豊葦原に存在を許されておるのか」
「あまり落胆なさいますな。好機はかならずや訪れます」闇き者そのものが天つ神の謀略ではないかとは、印色も前々から疑っていたところだ。印色がそれについて話そうとしたとき、長老がか細い声でつぶやいた。消え入るようで、いつでも気に充ち満ちている彼女の声音とも思えなかった。
「わしはその好機が……やっとめぐりめぐって、今回あらわれたのではないかと思ったのじゃ」
「なぜ、そのような」
「印色や。十数年前のあの日を覚えておるかえ。そなたがあの赤子をひきとった日のことじゃ。わしは忘れられぬ。そなたは無謀にも──よりにもよって、わしらでさえ立ち入らぬ神のひざもとへ、足を踏み入れた」
 急に思いがけない話をふられて、印色は面食らった。それと同時に、わが身を駆けぬけた激情を思い出し、気恥ずかしくなる。「あれは、出過ぎたふるまいでした。立場もわきまえず、先走ったことをいたしました」
「なんじゃ、照れておるのか。めずらしいのう」長老は笑い声をたてたが、すぐにまた険しい表情を浮かべた。
「そなたは濃い血をもっておったが、天つ神ではなかった。わしは、そなたは豊葦原の神に殺され、戻ってはこないだろうと思うておった。じゃが、そなたは戻ってきた──宣言したとおりに、にえに差しだされた赤子をつれて。そなたは御霊を拒まず、神々のほうでもそなたを認めた。それまでは考えられもしなかったことじゃ」
 闇夜にたたずむ老婆はどこか痛々しかった。火が消えたあとの焚き火のような、そんなわびしい風情ふぜいを、印色は連想した。
「御霊を拒まなかった、初めての者がおる。わしはさだめの流れが変化するのを感じた。おまけに、闇き者まであらわれたのじゃ。日継ぎの御子に光を集めるため、かつてない厳重な祓いがおこなわれたまほろばで、なお生き残れた闇き者じゃ。もう、神の導きとしか思えなかった。この闇き者こそは、真にわれらを助けてくれるもの──」
 しかし、桃生は受け入れなかった。受け入れるはずもなかったのだ。自分が過去にしたことで、この年老いた者によけいな希望を抱かせていたのだと知り、印色はやや自責の念を覚えた。結局、天つ者というのは何をしても、国つ者に苦痛を与えるだけなのかもしれない。
「ご期待に添えず、申し訳ありません。しかし、まだ始まったばかりです。長老の望まれる完全な救いをもたらすのは無理でしょうが、これまでにない高い結果をだすつもりでおります。どうぞ、長い目でお待ちくださいますよう」
「よろしく頼む。じゃが、今晩のわしはもう、すっかり疲れ果てたよ」あとはまかせる、と言って、長老は闇へと消えた。

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