闇き乙女

第五章

 『地脈』は、いくらかの偏りはあるにしても、豊葦原全土に網の目のように張り巡らされている。地中に走るそれは、土に栄養を与え、さらにその土が掘り起こされて空気に触れると、地上にも潤いをもたらした。しかし、それは恵みであると同時に、自然神の力の源でもあったために、天つ神が、各地の『地脈』の破壊に邁進した時期があった。
「ふうん。青星が言っていた戦というのは、そのときのものなのね」
 桃生がわけ知りぶった顔でうなずいた。彼女はもはや泣いていなかった。青星の苦労の賜物である。桃生の気がそれるようにあれこれ話をし、寒いと訴えられれば荷物から上着を引っぱりだして慰めた。
「先々代の皇のときが盛りだったんだって。でも、それから少しずつ減っていって、今ではさっぱりやらなくなったの」先を歩く青星は、藪や木の陰や足下のすみずみまで目を配り、罠が張ってないかどうか確認してから進んでいる。
「どうしてやめたのかしら」
「『地脈』はくさるほどあるし、いきなり破壊されると土地が順応できなくて不作が続くらしいから。やっても無益だという考えに行き着いたんじゃないの」
 桃生は、着物にからまった小枝を払いのけ、裾をいっそうまくりあげた。
「それで、わたしたちが向かっている村には何があるの? だめよ、とぼけても。青星は、そこに用事があるんでしょう」
「……また戦が起こるらしいの。まほろばが攻めてくる」
 口にすると、また違った動揺が青星の心を揺さぶった。それでも、表情は変わらず、ほんの少し声が暗くなっただけだった。
「王宮に出入りしている者からの情報だから確かよ。でも、まほろばが手に入れたがる目的が全然わからない。あの村には何もないはずなのに」
「そうと言い切れるものじゃないでしょう。隠された特産とか名所とか、あるかもしれないわ」
「温泉ならあったけど」
 桃生は大きくうなずいた。「それだわ。母様はお風呂が大好きなの。父様は秘湯を手に入れ、それで里帰りしてしまった母様を呼び戻すおつもりなんだわ」
「桃生、本気で言ってる?」
「冗談に決まってるじゃない。……つまるところ、考えられる目的は『地脈』しかないわけなのね」
「だけど、今頃になって『地脈』の破壊を再開するとは、あたしには思えないんだ」
「軍隊はあるの? まほろばを迎え撃つものは」
「沙流王が私軍を出すらしいよ」
 青星も、彼には反感を感じているようすだった。控えめな反応だったが、印色のそれと通じるものがあり、桃生は笑いをかみ殺した。
「謀反にはならないみたい。村民の自治権とか、そういうのを理由に立てれば平気らしいわ。とにかく親父様はてんてこまいだよ。沙流王って、武人としては悪くないんだけど、畑違いのことにも首をつっこみたがる傾向があるのよね。それで、話がいつもややこしくなる」
「そういえば、昨日今日と、大鷹殿をお見かけしなかったわね。その件で動いておられるのかしら」
「あのかただけじゃなく、みんな忙しいよ。そんなときに大蛇様がお目覚めになられて、どうなることかと思ったけど──」
 いきなりそのことに話題が移り、桃生は胃をぎゅっとつかまれた心地だった。
「桃生は、どうやって大蛇様をお鎮めしたの?」
「何だっていいじゃない」
 桃生は、会話を打ちきりにするつもりで、思いきり無愛想に答えた。しかし、探求心に燃えているときの青星はいつもにも増して鈍感で、しつこく食い下がってきた。
 窮した桃生は、両手に顔をうずめて、わっと泣き出す真似をした。案の定、青星はまごついて、渋りながらも話題を変えた。
 冬支度に取りかかる森のその先には、小さな集落が隠されていた。険しい森ではないが、直立する木々には侵入者をこばむ効果があり、昔の戦で攻め取られなかった理由も、なるほどわかる気がした。
 村は、木の柵によって囲まれていた。門前には見張りが二、三人立っていたが、いずれも若者で、厳重に警戒してはいない。槍をかまえながらも、無駄話に盛り上がっているようすだ。しかし、青星は、近づこうとした桃生を止めた。
「あそこからは入らない。また『飛ぶ』から、桃生は、あたしの服にでもつかまってて」
 言われて、桃生はぴんと来た。
「……もしかして、青星、内緒で来たの?」
 青星は一瞬ためらっていたようだったが、ここに来たことを知られたくないのだと、ぼそぼそと答えた。
「もう置いていこうとしないよ。その代わり、誰にも言わないで」
(いつもは傍若無人なのに。何がそんなにまずいのかしら)青星が、やしきに桃生を置いてけぼりにしなかったのも、あそこで彼女に騒がれたくないという思惑があったのだろうか。
 ふたりが移動した先は、田を囲むように広がる藪の中だった。枝がちくちくと身体を突く。収穫の終わった田では、茎のみになった稲が、風のせいか、一様に横倒しになっていた。子どもが畦道で遊んでいるほかに、人は見あたらない。
 青星は、藪から動こうとしなかった。子ども達は、走っていると思えば止まり、止まっていると思えば走りだした。追いかけっこをしているようにも見えたが、逃げていた子がとつぜん隣の子を追いかけたりして、何をしているのか不明だった。しかし、それが、はしゃぐ子ども達をいっそう微笑ましく見せていた。
 桃生は目を横に動かして、たたずんだままの青星を見た。青星の切れ長の瞳は、子ども達の姿を追っているようだったが、もっと別のものを見ているようにも感じられた。
「いつまで隠れているつもりなの?」
「そんな簡単に出ていけないよ。小さい村だもの。知らない人間が入りこめば、すぐに見つかっちゃうわ」
 もっともらしい返事だったが、桃生は敏感にその裏をかぎ取った。──青星は尻込みしているのだ。
「そうは言っても、ずっとここにいるわけにはいかないわ。あなたは何しに来たのよ。こうやって、こそこそ覗き見することが目的なわけじゃないんでしょう」
 桃生がせっついても、青星に動く気配は見られなかった。桃生はため息をついて、あきらめた。まほろばが興味を持っているだけでなく、青星にとっても、ここは特別な意味をもつ場所なのだろう。
 しばらく経つと子ども達は去っていき、それからは誰も通らず、見はるかしても一人の村人の姿さえなかった。さらに時間が過ぎて、青星はやっと行動を始めた。荒っぽい足どりで、ずんずんと村の奥へと進んでいく。一度、動き出してしまうと彼女はすばやく、桃生は苦労しいしいついていった。不思議なことに、進めば進むほど周りは寂れていき、青星が足を止めるまで、誰に出くわすこともなかった。
 しかし、人がちゃんと住んでいる証拠に、後ろの空には、煮炊きをしているらしい煙が立ちのぼっている。村人達は、あちらのほうに固まって居住しているのだろう。そう考えて、桃生は首を傾げた。あらためて周囲を見回す。
(倉庫はなし、田畑もなし、広場として使うには幅が狭すぎる……ここの人達は、いったい何のために、ここまで地ならしをしたのかしら)これから何か作るのかもしれない、という考えがよぎったものの、そのための材料や道具も見あたらなかった。労力を使って整えた土地を、ただ遊ばせているのだろうか? もう少し先で、平らな土地はぷつりと途切れており、後は木々がひしめくばかりだ。その中には、斧で斬りつけた跡の残る木もあったが、切り傷はとうに古くなっていた。
 青星は脇目も振らずに歩いていく。何かに急かされているようでもあり、立ち止まったら動けなくなることを恐れているようでもあった。桃生は黙って青星の背中を追っていたが、湿ったやわらかい森の土の上に足を下ろしたとたん、金縛りにあったように動けなくなった。
 若菜摘みや禊ぎのときと同じ感覚だった。敵がいる。誰かが狙っている──
 数十歩も桃生の先を行っていた青星が、忘れ物をしたかのようにあわてて戻ってきた。しかし、桃生の前まで来ると、青星の動きはぎくしゃくとしてしまった。
 ためらいがちに差しだされた青星の手を、桃生は奪いとるようにしてつかんだ。たちまち震えはおさまり、心ゆくまで息を吸い込むことができた。けれども、胃の奥が冷え切るような嫌な感じは残っていた。
(つまり、ここは神のお住まいということなのね)
 気持ちを落ち着かせて、桃生は自分自身に言い聞かせた。青星が守ってくれるのだから大丈夫だ。桃生には優しくない彼らだが、自分たちを崇めている国つ神の子孫には手を出さないはず──
 しかし、青星はそれから少し進んだだけで歩みを止めた。押しつぶされるような、濃厚な力の気配が風に乗って流れてくる。これより先は、力のうずまく源、国つ者でさえ立ち入ってはならない禁断の地なのだということが、桃生にも察せられた。
 さらに、天つ神の血をひく桃生には、特別にすさまじい殺気が送られる。だが、そのなかに、少し違うものを感じ取り、桃生は首をかしげた。畏怖させる神のものとは違う、親しみのあるといってもよいほどの、おだやかな気配。まるで、雪のなかに一輪の花が咲いているようだった。
 青星も気づいただろうかと思って見やったが、彼女はここでもまたぼんやりとしていた。

Copyright © 2002-2003  ヒョウリュウジマ(漂流島)  管理人:漂う子
広告 無料レンタルサーバー ブログ blog