闇き乙女

第五章

 空があかね色に変わったかと思うと、あっという間に夜の帳がおりた。けれども宮廷は、静かであるものの人の息づかいにあふれ、しじまには縁がなかった。衣ずれの音、人々の話し声、つま弾く琴の音などが折り重なって、ふしぎと落ち着く調べを作りあげている。
 室内には、年輩の者たちが集まり、膝を寄せ合うようにして、それぞれの円座に座っていた。たいていの場合は広々と使える部屋だったが、今夜ばかりは夜の寒気さえ入りこめないほど狭苦しい。
 本題にはいる前に、帯壬はやんわりと言い置いた。「ご存じとは思いますが、このところ、あまり愉快でない報告が相次いでいます。ならず者の戯言に、心奪われるお方があとを絶たないらしい。皆様、ゆめゆめ油断なさらないように」数人が落ち着かなく視線を交わすのを、帯壬は黒檀の瞳で見ていた。
「古より追い求めてきた夢が、ようやく叶います。長きにわたる戦いで、天つ神は弱り衰え、今や数えるほどもいない。だが、すべては報われる。天つ神の血も、あなたがたの労も。そして、その向こうには、楽園が待っている。わたしたちを脅かさず、どんなときでもいつくしんでくれる土地です。そこには真の安らぎがあるでしょう──皆が望んでやまないものがね──だから、ここへ来て、足を挫くような真似はしないでいただきたい。頼みますよ」
 一段高くなっている部屋の奥には、天井から簾が垂れていた。灯された明かりによって、簾には体格のよい人影が映しだされている。臣たちを眺めていた帯壬は、その簾のほうへ向き直って、姿勢を正した。
「これまで手薄だった果ての国は、わたしが遠征によって処理してきました。まほろばの近隣に残っていたものも大体は。あとは、東の山地に隠された一つを片づけさえすれば──微弱なものは連鎖していき、やがては消え果てるでしょう」
 簾に映った影がわずかに首を傾いだ。それを見た人々は、皇はうなずかれたのだと解釈して、日継ぎの御子のやり口に賛成の者も反対の者もそれぞれに腹を決めた。
 戦のおおまかな作戦が知らされ、それに投了する兵士の数、武器の種類などが伝えられる。するべき仕事を割りふった後は、流れる血を思い浮かべて顔をしかめる者、かすみと消える財を思ってため息をつく者、おのが身を心配して蒼白になる者と、さまざまな表情があふれたが、どれも憂いを含んでいることは共通していた。
 始まるときより重苦しくなった空気の中で、帯壬ひとりがどこ吹く風とすました顔をしていた。皇が簾の向こうで立ち上がって退出すると、自身も優雅な足どりで部屋から出ていく。
 帯壬が回廊に出たとき、ちょうど皇がその角を曲がるところだった。皇の衣が柱の陰に見えなくなり、しかし、しばらくして向かいの渡殿を歩いている姿が見えた。最高位をしめす着物はあたりの闇を払うほどきらびやかで、それをまとう肉体も水際立った美しさだ。けれども、昔のような覇気は感じられない。老いのためではなく、魂を失っているせいだった。
 そんなことは帯壬にとって百をも承知のことだったが、父の枯れた姿を目の当たりにすると、わびしさが募る。どうしてか、昔された問いを、今またくり返されたような心持ちになった。──「怨んでいないか? この父を、母を、先祖を。豊葦原を」
「わたしは怨んでおりませんよ。あなたこそお怨みにならないのですか? わたしさえ生まれなければ、もっと長生きできたでしょうに」軽い笑みを含ませて、帯壬は夜風にささやいた。聞かれた当時に何と答えたのかは、記憶がおぼろげで、彼自身にも定かでない。
 それからしばらくして、伊志治が、戻ってこない帯壬を気にして、うろうろと探しに来た。すっかり人気のなくなった回廊で、主が寝そべっているのを見つけた彼は、ひさしぶりに度肝をぬかれた。
「どうかなされたのですか。夜風は身体に障ります」
「星がきれいだなあと思っていたんだよ」
「はあ……お具合が悪いわけではないんですね?」
「もちろん。もし少しでも身体がおかしければ、宮中の人間を巻き添えにして苦しがるからね、わたしは。心配しなくていいぞ」
 にっこりと微笑む帯壬は、皇の若い頃をほうふつとさせた。先代、先々代、さらに前。最初の皇まで遡れるものを、実は、帯壬は持っているのだった。

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