闇き乙女

第五章

 沙流王の送ってきた使者は、全部で四人いて、客人を連れていくための旅支度を万端に整えていた。行くと返事をしたとたん、彼らは桃生たちを急かしはじめ、屋敷の主へのあいさつもそこそこに出発しなければならなかった。
 旅は厳しいものだった。七人もいるのでは、青星の能力は使えず、陸路を行くしかなかった。いくら念入りな準備がされていても、風の冷たさは衣類を通りぬけて肌を刺す。毛皮が役立たないとまでは言わないが、氷になるかと思うほど寒かった。
 二日間、馬を走らせたのち、一行は白く化粧した山々を見出した。山の道のりを行くためには、馬をおりて歩く必要がある。桃生はげんなりしたものの、不満は漏らさなかった。青星の頬には血の気が戻り、ほんのりと赤く色づいていた。
 雪に足を沈ませながら行く途中、明吉良が使者にたずねた。「まほろばの軍はどこに?」
「わたしらが送り出されたときには、あそこの山のふもとに陣営を張っていましたがね。もう移動しているでしょう。あいつら、三日と同じ場所にいたためしがないんです」
「ずいぶん身軽だな。むこうは兵士の数が少ないわけか」
 使者のひとりが、長々と白い息を吐いた。「そのはずなんですけどね……だれがあの軍の指揮をとってるのか知りませんが、そいつはきっと鬼の化身ですよ」
 仲間がそう言うのを聞いた残りの使者も、陰鬱な表情を浮かべていた。沙流王がどれだけ苦戦しているか、手に取るようだった。私情を抑えて要請した印色も、事態を好転させてはいないらしい。
(それじゃあ、一体、何のために、わたしたちは呼ばれたんだろう)ますます不思議に思えた。雲行きのあやしい今、桃生たちは邪魔以外の何者でもないはずだ。沙流王の企みを承知で乗り込んできたものの、やはり心穏やかではいられず、桃生は嫌な予感に顔をしかめた。
 村に着くと、真っ先に沙流王のもとへ連れて行かれた。まずは印色に会いたかった桃生はがっかりした。青星を回復させて、沙流王のことも取り計らってもらえればと思っていたのだが、明吉良の指摘したとおり、それは見方が甘かったようだ。
 村には、当たり前だが、先日に訪れたときのほのぼのとした雰囲気はみじんも残っていなかった。槍や矛をかまえた者があちこちに立っており、身の締まる思いがしたものの、負傷して血のにじんだ包帯を巻きつけた人を見るほうが、戦の存在をより身近に感じさせた。長の屋敷で彼女たちを案内してくれた若者は、目と口だけを除き、顔全体を布で覆っていた。赤い染みのついた布の下に、どんな傷が隠れているのか、桃生には予想もつかなかった。
「おお、よくぞ来てくれた」
 沙流王は、甲冑に身を包み、腰には大振りの剣を差していた。部屋の中央には、このあたりの地形図らしいものが広げられている。
「おや? 印色の君の娘御まで、お招きした覚えはないのだが」桃生と明吉良に親しげなあいさつをした後、沙流王はいぶかしげに青星を見た。桃生はあわてて言いつくろった。
「印色殿のご無事が気にかかったものですから、わたしたち、こうしておうかがいしたんですの。まさか、わたしと明吉良だけで来て、彼の愛娘を置いてくるわけにもいかないでしょう」
 沙流王の表情が一変して、険しいものになった。まなざしには酷薄な光が宿り、青星を汚らわしいもののように見おろす。「──この村にあだをなすふるまいをしておきながら、よくも、おめおめと顔を出せたものだ。天つ神の血をひく者に育てられて、面の皮が厚くなったのではあるまいか」
「どういう意味ですか」桃生は眉間に皺を寄せた。
「姫よ、そう怒られるな。こんな娘のために、われらが仲違いをするのは無益だ」沙流王はわずらわしそうに言葉を続けた。「青星は、この村の平穏のため、神に捧げられるはずだった。しかし、その務めから逃げて、このように恥ずかしげもなく生き延びている。わしは生真面目なのでね、そういう不埒なおこないは許せぬのだ」
「捧げる?」桃生は小声で明吉良にたずねた。
「生贄ということだろうね。動物や人を、生きたまま、神への供え物とするんだ」
 桃生は思わず憤慨して、噛みつくように言った。
「あなた達ときたら、なんてことしてるの。人でなしだわ。そんな犠牲を払ったくらいで、神様が優しくしてくれるのなら、世界はもっと住みよいわよ」
「血は争えぬものだな。あなたの兄君も同じことを申された」
 そう言ったのは沙流王だった。桃生ははっとして、帯壬のことを思ったが、沙流王が言っているのは別の人物だった。
「獣に襲われる村人が後を絶たなかった。山の神がお怒りになっているためだと長老はおっしゃられ、そこで力の強い赤子をひとり、召使いとして差しあげることにした。だが、儀式の当日、邪魔が入る。大鷹めが連れてきた悪しき生まれの男は、われらの掟もなにも知らぬくせに大口をたたいて、捧げられた贄を取り戻しに行った」
「でも、何も起こらなかったんだわ。男の人も赤子も無事だった」ぴんぴんしている印色と青星を思い浮かべ、桃生は勝ち誇ったように言った。
「その通りだ。小細工でもしたのだろうよ。奴はそうして長老へ取り入り、今まで重用されてきた。とんでもないことだ」
「あなたは、印色殿が気に入らないのですね。それも、うらやんでいるようにしか見えないけれど──まあ、わたしには関係のないことです。しかし、青星まで蔑むような言い方をされては黙っていられません」
 沙流王の表情が大きくゆがんだ。桃生に向ける視線まで厳しくなる。「青星は生贄だった。儀式が最後までおこなわれなくとも、それは変わらぬ。印色に連れ出されたとき、みずから命を絶つべきだった」
「なにそれ。あくまでも、死んでいればよかったと言うのね」
 桃生はとうとう本気で怒って、自分より頭一つぶん上にある沙流王の顔をねめつけた。彼も応じてにらみ返し、まさに一触即発のふんいきだった。そのなか、明吉良だけは疑わしそうに首をひねっていた。そして言った。
「当時の青星は、赤ん坊だったんですよね? 自害なんてできないと思うけどなあ」
 まったくもって正論だった。桃生も気づかなかったが、沙流王はもっと気づかなかったらしく、虚を突かれて目を白黒させていた。
 桃生はばかばかしさと腹立たしさにため息をついた。しなやかな動作で一礼すると、青星の手首をつかんで踵を返した。
「待ってくれ。こんな話をするために招いたのではない。重要な話があるのだ──」沙流王はうろたえて呼び止めたが、桃生はふり返らず、さっさと部屋を後にした。
(どんな話だろうと、あんな人の言うことなんか、絶対に聞いてやらない)桃生は荒っぽい足どりで廊を突き進んでいった。あまりの勢いに、行き交う人々は思わず道をゆずっていた。
 いつの間にか奥まった場所へ入りこんでいて、桃生はやっと気づいて足を止めた。息は上がり、つかんだ手は汗ばんでいた。
「あんなの、気にしたら駄目よ」
 桃生は慎重に言葉を選びつつ、どう慰めるべきか迷いながらふり返った。ところが、青星はいつもと変わらず、あっけらかんとしていた。
「気にしていないよ。沙流王は、あたしの顔を見るたび、いつも同じこと言うんだ」
「とんでもない挨拶があったものね」
「慣れた。それに──事実だから」
 ぽつりとつぶやいた青星の台詞が、胸をつらぬくように痛かった。桃生は青星の手をにぎり、叱咤するように言った。
「あの人はね、なにも考えてないの。わかるでしょう。明吉良でさえ気づいたことに、十数年も気づかなかったのよ」
 桃生は言ってから、青くなってあたりを見回した。「そういえば、明吉良はどうしたのかしら。やだ、いないわ」
「平気だよ。迷子になっているんだとしても屋敷の中でしょ」
 青星は潤んだ瞳を瞬き、普段どおりの表情をつくろった。
「ちょうどいいから、温泉に行こうよ」
 桃生はぱっと顔を輝かせた。「わあ、賛成。場所はわかるの?」
「ううん。待って、聞いてくるから……」

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